ファミコンのゲームソフトの販売数は、年ごとに分類すると以下のようになります(関連リンク)。
1983年 9タイトル
1984年 20タイトル
1985年 69タイトル
1986年 86タイトル
1987年 118タイトル
1988年 141タイトル
1989年 148タイトル
1990年 157タイトル
1991年 151タイトル
1992年 95タイトル
1993年 52タイトル
1994年 7タイトル
ちなみに、94年に発売された、ファミコンで最後のゲームは「高橋名人の冒険島IV」です(笑)。ファミコンのおかげで高橋名人になることができましたが、その最後のゲームに私の名前が付いているというのは、感慨深いものがあります。
ハドソンは最初のサードパーティになったから、成功したのだと言えます。85年からの年間販売タイトル数の増加を考えれば、この年に参加したソフトメーカーが、他社に埋もれてしまってもおかしくありません。また、サードパーティだからと言っても、面白くないゲームであったら、そこまで子どもに応援されることもありませんでした。
他社の参入が少ない早期の段階で、そのメインターゲットである子どもたちへインパクトを与えたこと、そして、当時のハドソンの事業規模などを考えると、参加する限り失敗は絶対にできないということで、PCゲームで世界的にブームだった「ロードランナー」を選んだのです。そして、PC用の1画面ステージ構成だった内容を、キャラサイズを大きくして、ファミコン独自のゲームにしたことも成功のポイントになったのだと思います。
次回は、ファミコンブームの盛り上がりとともに、私が「名人になった日」について紹介しましょう。
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