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» 2016年04月14日 08時00分 公開

ファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由高橋名人が語る(5/6 ページ)

[高橋名人,ITmedia]

問屋やおもちゃ屋を回ってお願い

 ハドソンがファミコンで成功できたのは、何もないところから初めてのものを作る「ゼロから1へ」という理念のおかげだと思います。

 それまで任天堂というファーストパーティからしか出ていなかったファミコン製品の世界に、異色のゲームを投入することで大きな差別化が生まれました。

 また、早期からサードパーティとして存在していたことで、子どもたちからの支持も得られ、その後、85年に参入してきた、ほかのソフトハウスの中に埋もれることもありませんでした。これらの要因が、ハドソンの成功につながったのだと思われます。

「ナッツ&ミルク」 「ナッツ&ミルク」

 しかし、他社に先駆けて参加するというのは、それなりの苦労もあります。

 当時の任天堂には、「初心会」という問屋さんのグループがありました。ファミコンのゲームカセットを販売するには、この初心会に納品するしかないのです。任天堂から初心会を紹介されたのち、営業の責任者であった所長(当時のハドソン東京の所長)と私の二人で、全国の初心会に出向き、デモンストレーションをしながらソフトを売り込むのですが、どこの問屋さんに行っても、最初に言われるのは、「ファミコンは任天堂さんのものでしょう。おたくが勝手に出していいの?」という言葉でした。

 当時はサードパーティという言葉すら確立されていなかったので、当然の結果です。そこで、所長から、

  • 任天堂の許諾を得ていること
  • 初心会も任天堂から紹介を受けたこと
  • ゲームカセットは任天堂の工場で製造していること

を説明して、サードパーティという存在に納得してもらってから、毎回ゲームの説明を行ったのです。

 また、東京都内のホテルで、地方のおもちゃ屋さんの会合があると聞けば、ファミコンとTVを持ち込んで、「説明させてください」とお願いしに行ったこともありました。

 とにかく、初めてづくしですし、ファミコンのカセットを30万本も製造するという資金繰りを考えると、絶対に成功させなければなりませんでしたので、現在のアンテナショップ以上に、アンテナを広げ……いや、ソナーを打ち込んでいったのです。

 また、先ほど書いたように、NUTS & MILKとロードランナーの2タイトルを販売したのですが、宣伝費用も少ないことから、どちらかに比重をかけた方がいいだろうとの判断で、TVCMを始めとした宣伝は、ロードランナーを8割弱という比率で集中させました。

 これが功を奏して、ロードランナーは大成功。発売日の数日後には、会社の電話対応のほとんどが「ロードランナーはないのか?」という問い合わせになりました。ファミコンのゲームカセットの製造には3カ月かかりましたので、再出荷の日まで、殺到する電話が延々と続いていきました。

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