テスラは未来のクルマか?池田直渡「週刊モータージャーナル」(2/4 ページ)

» 2016年04月18日 08時00分 公開
[池田直渡ITmedia]

 2008年、テスラは、ロータス・カーズが生産していたエリーゼ用のシャシープラットフォームの供給を受けて、ひとまず電気自動車を作り始める。元々がスポーツカー用のシャシーなので、軽量で性能も高く、スタイリッシュなボディを架装し易い。このシャシーを使えば「ダサい、航続距離が短い、パフォーマンスが悪い」という点をあらかた解決できる。

 一般論として、電気自動車の開発に限って言えば、モーターはサプライヤーから供給を受けられるので大した問題ではない。むしろ安全に走らせ、曲がらせ、止まらせるというシャシー技術こそが膨大なノウハウの塊であり、クルマ作りの制約ポイントになるのだ。

 テスラが創業5年で実際にクルマを発売するところまでこぎ着けた最大の理由は、シャシーを自社開発しなかったことにある。動力源とシャシー両面を外部調達して解決してしまった点は非凡なセンスだと言えるだろう。そのBTO(Build to Order)的発想は確かにシリコンバレーらしい。テスラ・ロードスターは年産500台という極端な小規模生産モデルに過ぎなかったが、新興テスラのアドバルーンとしての役割を予定通り果たすことができた。それは信用の構築として、以後のテスラの成長に大きなレバレッジを掛ける手品の種になっていく。

 こうして基礎固めをしたテスラは、いよいよセダンの開発に乗り出すことになる。これが2012年にデビューした「モデルS」だ。モデルSは、ハイパフォーマンス・セダンを狙ったモデルで、外誌のテストで「史上最速の4ドア車」という称号を獲得した。同時にオートパイロットと呼ばれる自動運転機能を搭載。ファームウエア・アップデートを通信で行い、一定のリコール対応であれば、工場まで出向く必要がないというシステムになっている。

 モデルSを開発するにあたって、テスラには明らかにツキがあった。2009年に、GMとクライスラーがチャプター11(日本で言う民事再生制度)を申請して事実上の経営破たんに陥り、米政府の公的資金を受け入れた。これに応じて最先端のノウハウを持つエンジニアが大量に流出する。テスラはこれらのエンジニアの受け皿として名乗りを上げ、短期間に優秀な自動車技術者を獲得することに成功する。こうした天佑に恵まれてテスラ・モデルSはデビューするのだ。

 実は、筆者がテスラに大きな疑問を感じたのはこのモデルSがきっかけだったのだが、ひとまずそれを置いて、モデル3発売までのテスラの動きをトレースしよう。

 モデルSは上述のようにセダンだが、マーケットにはもう1つ大きな需要のあるモデルがある。それはSUVだ。テスラはモデルSのシャシーを使ってSUVの「モデルX」をほぼ同時に発売した。イーロン・マスクは、モデル3を開発するためにモデルSとモデルXからの利益が必要だったと説明している。

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