それまで音楽一筋だったフリーマンにとって、ビジネスマンとしての知識や経験はないに等しかった。ただ、小さいころから魅了されていたコーヒーには詳しかった。家のオーブンで焙煎した豆で作ったコーヒーを、オーケストラの練習に持ち込み振る舞うこともあった。
「食好きでもある私は週末などに開かれるファーマーズマーケットにもよく行っていて、そのころから、『コーヒー豆もフレッシュな食べ物である』と思っていました。でも世の中ではそうは認識されていない。コーヒー豆はフルーツなのに、焙煎されているというだけで食べ物として扱われていないことに違和感がありました。ただ、そこをうまくつなぎ合わせれば何かになるんじゃないか、と考えていました」
フリーマンの目論見は正しかった。サンフランシスコから始まったブルーボトルコーヒーはやがて業界の寵児となり、出店エリアを徐々に拡大していったのである。今や多くの起業家がうらやむほどの成功を遂げたが、もともとフリーマンのモチベーションはそこにはなかった。
「あくまで自分のコーヒーをたくさんの人に飲んでもらいたくて始めたので、『それで自分も食べていければ最高だな』というくらいにしか思っていませんでした。成功してお金持ちになりたいとか、店をたくさん持ちたいとか、そういう気持ちはなく、他の人が私のコーヒーでハッピーになることがモチベーションでした。今は当初とはだいぶ違う形になったけれど、クラリネットで演奏を聴かせていたときよりも、演者としてはいろいろな人に価値を提供できている。より大きなステージに立っているのを実感しています」
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