先に挙げた対談の登場人物である糸井さんは、岩田さんと「MOTHER2」というゲームを作っています。そのゲームの攻略本に書き下ろした糸井さんの言葉に、次のようなものがあります。
「ゲームのおもしろさってゲームの外側に山ほどつまってるはずで、ゲームは、その宝物を掘り出すシャベルみたいなものなんです」
ゲームは、ユーザーが自分から体験を紡ぐきっかけにすぎない。しかし、そんなきっかけになるために、無数の仕掛けがデザインされているものこそが、ゲームです。そもそも、あらゆるプロダクトは同じ性質を持っているはずです。
プレゼンも同じです。私はゲームのノウハウを同僚から学びながら、プレゼンへと応用していきました。自分が良い話や正しい話をすることで聞き手を強制的にひれ伏させるのではなく、話が腹落ちされ、暗記したつもりがなくてもスラスラと話せてしまうくらいに深く理解してもらえることを是としました。
一方で、自分の話を正確に繰り返してもらうことを狙うのではなく、自分の話がきっかけになって、聞き手が自らの人生のことを語り出すことを是としました。
そして、そんなプレゼンを実現するために、自分をデザインしようと意識しました。つまり、伝えるために自分を変えることを恐れなくなりました。「伝えること」と「今のままの自分であり続けること」、その2つの優先順位が、やっと、明らかに定まったのです。
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