「角栄ブーム」で得をするのは、誰なのかスピン経済の歩き方(2/5 ページ)

» 2016年06月07日 08時00分 公開
[窪田順生ITmedia]

毛沢東の功績を見直す背景

 例えば、中国の「毛沢東ブーム」が分かりやすい。毛沢東については、1981年に中国共産党が、業績として評価すべき成果は7割で誤りは3割と定めるなど、中国の方たちの間でもかなりビミョーな存在だった。しかしその後、民主化を求める動きが活発となり、天安門事件が起きた1989年ごろを境に一気に再評価が始まるのだ。

 『毛沢東主席生家もうでが復活したり、毛沢東を扱った本が人気を集めたり、“毛沢東回帰”とも言える現象が起きている』(読売新聞1990年1月30日)

 その動きは現在にも受け継がれている。都市部と農村の格差が激しくなった2010年ごろには、陳情を求める人々が天安門広場の「毛主席記念堂」に行進しようとしたところ警察隊に阻止され拘束されるなど、『平等社会の実現を目指したと信じている「毛沢東」を掲げて、当局に抗議するケース』(産経新聞2010年12月29日)が加速度的に増えてきたのだ。

 こういう「毛沢東ブーム」と「民衆の不満」の因果関係を見れば、小沢さんや佐高さんの分析には大いにうなずける。

 ただ、そうなってくるとひとつの疑問が浮かぶ。中国で反体制の人々が「毛沢東」を掲げるように、体制批判のために特定の政治勢力が「田中角栄」を引っ張り出してきた可能性はないのか、という点だ。

 卵が先か鶏が先か、みたいな話になってしまうが、国民の不満が角栄ブームを自然発生的に生み出したのではなく、何者かがブームを仕掛け、国民の不満を煽(あお)っていることだって考えられなくはない。

 そんな陰謀論みたいなことを言うなと笑われるかもしれないが、過去を振り返ると、「政治家ブーム」というのは、特定の政治勢力の「追い風」になっているというケースが多々あるのだ。

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