ここからはもはや現代史です。
かつては「反体制」が主題だった音楽も「私生活化」の波が訪れ、「愛が大事」「友だちが大事」「夢が大事」といった基本的な価値観の表明や、「フラれて情けない俺の気持ち」「自転車に乗った時の気分を思い出せ」「キセキ的なキミとの出会い」など個人的な情感の発露、「輝け俺の生活」といった人生の応援歌が主流になっていきました。
一方、特にロック分野ではかつての反体制のスタイルが、ある意味、様式美として継承されてはいましたが、時代そのものが、よくも悪くもフリーダムに向かっていたために「自由に向かって革命を起こす」と歌われても、いまひとつピンと来なくなった。
またアメリカで黄金期を迎えたラップの影響を受け、「俺たちには倒すべき敵がいる」と叫ばれても、その敵がどこにいるのかよくわからず、「どうも歌っている人も分かってないんじゃ」という状況も訪れる。
それに、かつて「大人社会へのアンチ」という建前をもっていた不良社会も、存在基盤を失っていたため「悪いヤツはみんな友だち」と自慢されても、「うおカッコいい!」とは感じづらくなってしまいます。
この時期、かつて反体制だったロックが、「ヴィジュアル系」としてお耽美な方向にシフトしていったのはある意味、必然のことでした。
21世紀になると、安定はもはや望んでも手に入れ難いものなった。自由についても、例えば学級崩壊のように「フリーダム過ぎることの弊害」も見られるようになり、ネットでは、自由よりも秩序を重視する人の意見が目立つようになります。
松任谷由実(荒井由実)さんが作詞作曲した1975年の「いちご白書をもう一度」という曲では、学生集会にも出席していた「意識高い系」の主人公が、就職が決まって髪を切って「もう若くないから」と、言い訳する様子が描かれますが、現代では、そこで言い訳する必要があるでしょうか。「やったー就職できたー」「よかったねー」と祝福されるのでないでしょうか。
かつての映画や漫画では「しょせんは俺も平凡なサラリーマンになるのかなあ」「親父みたいなサラリーマンにはなりたくないよ」といったセリフが見られました。しかし、そもそも正社員になるのが難しい現代では、「なにお花畑なこと言っとるんだ」という感じがします。むしろ「サラリーマンとして働くお父さんの応援歌」がヒットするようになりました。
こうした時代に生まれ、成人していった人たちが、音楽に政治的なメッセージが盛り込まれることに違和感を持つのは、無理もない。それはそれで正しく、当然とさえ言えると思います。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング