こんにちは、高橋名人です。
この連載では、私の実体験を基に、ファミコンブームの誕生とその盛り上がりの裏側などについてお話してきました。最終回となる今回は、ファミコンブームの終息と、これからのゲーム業界について、私の意見をお伝えしたいと思います。
2003年9月。レトロゲームファンにとって、衝撃的なニュースが流れました。それは、発売から20周年を迎えた「ファミリーコンピュータ」の生産が終了するというニュースでした。
私はこのニュースを聞いたとき、悲しい気持ちになるというよりも、驚きを隠せませんでした。なぜならば、その間にTVゲーム機は16ビットになり、次世代機と呼ばれた「プレイステーション」もさらに高性能な「プレイステーション2」に生まれ変わっていたからです。そうした中でファミコンは途中でAV対応のニューファミコンにはなりましたが、脈々とファミコンが生産され続けていたのです。
普通の家電であれば、20年間製造が続いていたというものは皆無でしょう。それなのに、TVゲーム機という先端技術を使っている機材でこうした事態が続いていたという事実に、一体どれだけのコアなファンがいてくれたんだろうという思いで一杯でした。
ファミコンは、実際には1994年に発売された「高橋名人の冒険島IV」が最後のゲームソフトとなりました(現在ではさらに新作ゲームが登場していますので、これが最後のゲームとは言えなくなりました……)。
一方で、新型TVゲーム機は次々と登場しています。それらを羅列してみましょう。
1987年 PCエンジン
1988年 メガドライブ
1989年 ゲームボーイ
1990年 スーパーファミコン
1994年 セガサターン
プレイステーション
3DO
1996年 NINTENDO64
1998年 ドリームキャスト
1999年 ワンダースワン
2000年 プレイステーション2
2001年 ゲームボーイアドバンス
ゲームキューブ
2002年 Xbox
2004年 ニンテンドーDS
プレイステーションポータブル
2005年 Xbox 360
プレイステーション3
2006年 Wii
2011年 ニンテンドー3DS
プレイステーション Vita
2012年 Wii U
2014年 プレイステーション4
Xbox One
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