事実上の廃線復活 可部線延伸から学ぶこと杉山淳一の「週刊鉄道経済」(2/4 ページ)

» 2017年03月03日 07時30分 公開
[杉山淳一ITmedia]
非電化区間の風景は素晴らしかった。現在も存続できていたら、観光列車の絶好の舞台になっていた 非電化区間の風景は素晴らしかった。現在も存続できていたら、観光列車の絶好の舞台になっていた

 稼働していた可部〜三段峡は非電化区間で運行本数も少なかった。平行するバスの便が多く、可部線の乗客数は伸びなかった。可部線自体も国鉄再建法によって廃止対象となった。しかし電化区間の横川〜可部間は住宅開発が進み乗客も多く、全線で廃止基準の旅客輸送密度4000人を超えていたため、国鉄時代の廃止は逃れた。

 国鉄が分割民営化され、1987年にJR西日本が発足した。JR発足の条件として、国土交通大臣より“新会社が配慮すべき指針”が示された。そこには「日本国有鉄道の改革の実施後の輸送需要の動向その他の新たな事情の変化を踏まえた現に営業している路線の適切な維持及び駅その他の鉄道施設の整備に当たっての利用者の利便の確保に関する事項」とある。ざっくり要約すると「国鉄再建法によって、利用者数の少ない赤字路線は整理したから、JRが引き継いだ残りの路線はなるべく維持しなさいよ」ということである。

 この指針を順守し、JR西日本は可部線を維持してきた。しかし、利用者減少と赤字は看過できない事態となって、1998年9月、JR西日本は非電化区間の可部〜三段峡の廃止を表明する。根強い反対運動もあり、列車の増発実験も行われた。しかし営業成績は上がらず、2003年11月に廃止となった。

廃止の約1カ月前の三段峡駅。お別れ乗車と観光客で混雑していた 廃止の約1カ月前の三段峡駅。お別れ乗車と観光客で混雑していた

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