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» 2017年12月08日 06時00分 公開

常見陽平のサラリーマン研究所:就活生を悩ませる、おじさんたちの「個性」「人間力」という言葉 (2/3)

[常見陽平,ITmedia]

おじさんたちの的外れな批判に惑わされるな

 本題に入ろう。今年も就活生からこんな質問をいただいた。

 「画一的なリクルートスーツで、個性を表現することができるのでしょうか?」

 学生に限らず、日本の就活、新卒一括採用に疑問を抱いている者が必ずと言っていいほど批判するのが、リクルートスーツだ。ある時期に一斉に同じような格好で就活を始める日本の光景は異常だと言われる。

 しかし、だ。こういう批判論者は、リクルートスーツや就活、新卒一括採用といった「仮想敵」を設定することによって、ストレスを発散しているのではないかと思ってしまう。このような学生に、こう質問したら、固まってしまうのではないだろうか。

 「リクルートスーツがなくなった瞬間に見える、あなたの個性とは何ですか?」

 批判論者は、自分は素晴らしい個性の持ち主だと信じているのに違いない。しかし、逆にリクルートスーツがなくなった時に発揮される個性とは何なのだろうか。私服選考で落ちた時にはどうするのか。かえって自分を責めることになってしまう。

photo リクルートスーツ批判は的外れ?

 このリクルートスーツ批判同様、的外れだと感じるのが「人間力」の礼賛だ。「私は人間力で勝負する」「人間力を重視した採用を行っております」「ウチの大学では、学生の人間力を重視しています」など、学生側も企業側も、さらには大学も「人間力」なるものを連呼する者が散見される。

 なんて牧歌的なんだろう。人間力とは何か。定義が曖昧だ。ここでは、この人間力なるものが誰も救わない言葉であることに注目したい。仮にその人間力なるものが、生まれ育った環境などによって育まれるとするならば、格差そのものになってしまう。「人間力で勝負だ」と言ったところで、人間力対決で負けてしまっては意味がない。

 この「個性」や「人間力」の礼賛なるものは、重大な勘違いだ。別に採用活動はこれらだけを評価する場ではない。採用するべき人材かどうかを見極める場だ。それが決め手になるわけではない。

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