「ワケのわからん理屈をこねるな! 権力をもつ者ならば責任もとれるはずだ!」と怒りで震える方もおられるかもしれないが、このあたりの「権限を与えられた者」と「責任者」の違いは、至学館における栄前監督と谷岡郁子学長をイメージしていただけければ分かりやすい。
栄前監督が自らの権限を発揮できるのは、女子レスリング代表という小さなムラ社会のなかでしかない。しかし、谷岡学長は違う。一族経営で至学館を仕切り、レスリング協会でも圧倒的な発言権をもつ「責任者」だ。だからこそ、自分の大学にマスコミを集めて、「栄はその程度のパワーしかない」と好き勝手に反論もできる。
至学館やレスリングムラのなかの一歯車に過ぎない栄氏には、谷岡学長のように自由な振る舞いは決して許されない。むしろ、歯車なので「組織」を守るためには、本心を押し殺して、自分に嘘をつくことが求められる。だから、心身を壊して入院してしまう。内田前監督もまったく同じパターンだ。
日本型組織には、内田前監督のように「ムラ」のなかで、それなりの権限を与えられただけなのに、組織としての「責任」をとれる立場にあると、自分のパワーを過大評価している組織人が多い。だから、こんなことを口走ってしまう。
「責任はオレがとってやる」
与えられているのは権限だけなので責任などとれるわけもなく、「ほら、だからあれはお前のやる気を出すためにだな」なんてむにゃむにゃと言葉を濁すしかない。かくして、日本社会には「オレはそんなこと言っていないおじさん」が溢れかえって今日に至るというわけだ。
「そんなお前の勝手な妄想だ」というお叱りの言葉がじゃんじゃか飛んできそうだが、ならば逆にお尋ねしたい。
なぜ飲食店やら企業やらに理不尽なクレームを突きつける人々は、まるでお約束のように「お前じゃダメだ! 責任者を出せ!」とヒステリックに叫ぶのか。
この手の人は相手を困らせようという狙いのもとでいろいろな難癖をつける。相手が嫌がること、精神的にダメージを与えられるワーディングを意図的に選んでいるのだ。
それを踏まえると、「責任者を出せ」の真意が見えてくる。
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