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» 2018年08月07日 08時00分 公開

スピン経済の歩き方:熱中症の被害者が出ても、夏の甲子園が絶対になくならない事情 (6/7)

[窪田順生,ITmedia]

なぜ「丸刈り」を続けているのか

 日本大学やボクシング連盟、そしてパワハラが問題になる有名企業などをみれば一目瞭然だが、日本社会は基本的に「運動部しごき自慢おじさん」たちがイニシアティブを握り、彼らの「シゴキ=必要悪」理論のもとで動いている。

 このようなパワハラ容認社会における「夏の甲子園」は、「シゴキ=必要悪」という宗教の聖地(メッカ)みたいなものである。だから、エルサレムやメッカを移転しようなどと言う話が、これらを聖地とする宗教が到底受け入れられないように、「夏の甲子園」も動かすことは許されないのである。

 清く正しい高校野球を、パワハラ企業なんかと一緒くたにしやがってと怒る方たちの気持ちはよく分かるが、残念ながら高校野球が「ハラスメントの無限ループ」に陥っているのは、そのシンボルともいうべきものがよく示している。

 「丸刈り」だ。

 理不尽なハラスメントが連鎖する組織というのは、まともな思考が阻害され、「手段」が「目的化」してしまう。典型的な例が旧日本軍で、戦争に勝つための厳しい規律をつくったはずが、いつの間にやら厳しい規律を守ることが目的となり、すべての人が「思考停止」のワナに陥って、組織の崩壊を早めた。

 高校野球も同じで、本来はチームが強くなることや、試合に勝つという目的のためにハラスメントを再現していたが、長く繰り返しているうちにハラスメント自体が目的化してしまった。それが、「丸刈り」である。

 なぜそれを続けているのか誰も答えられない。「丸刈り」で強くなるわけではないが、ほとんどの野球部では問答無用で続けている。かつて大企業の新入社員が、「みんなより早く来て机を雑巾がけしなさい」と命じられていたのとまったく同じで、本来の目的とはまったく関係のない「無意味な慣例」だけが続けられてしまったのだ。

 いずれにせよ、「シゴキ=必要悪」と本気で考えているような「運動部しごき自慢おじさん」たちが社会で幅をきかせている限り、「夏の甲子園」は続行されるはずだ。

 死者が出ても行われる危険なお祭りとかと同じで、死者が出ても「しょうがない」とされるのだろう。ただ、お祭りと同様に「少子化」が、その世界の人々を加速度的に苦しめていることが気がかりだ。

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