このところ「自動運転車っていつごろ商品化されるんですか?」という質問をよく受ける。
これにスカッと答えるのはなかなか難しい。条件分岐がいっぱいあるのだ。
まずは一体その人が思い浮かべている自動運転とはどういうものなのかによって難易度が大きく変わる。例えば、自動車専用道路の同一車線自動運転ならもう技術的にはほぼ完成しており、あとは法律や保険など社会的な問題だけだ。
しかし、恐らく多くの人が求めるのは、タクシーを拾うように完全に運転から解放されて、目的地まで何もせずに到着できることだろう。さらに言えば、無人で迎えに来て、クルマを降りると勝手に車庫に戻るようなものまで想定している人もいるかもしれない。そういうマイタクシーかつルンバみたいなクルマはまだ技術的にも難しい。
そういう自動運転が向こう10年以内に実現するかと言えば、ほぼ不可能だろう。技術的にも難しいが、それ以上に法整備が全く追いついていないからだ。
自動運転を阻む国際条約は、ジュネーブ条約とウィーン条約の2つあり、クルマを無人で運行することは禁止されている。図で示す通り、非常に多くの国がこの条約に批准している。
現在、この条約の改定をめぐって自動車生産国と非生産国の間で意見が割れている。自動車生産国は当然このルールを変えたい。一方で非生産国はどうでも良いのだが、どうせなら交渉材料にしたい。大抵の場合、自動車生産国は金持ちなのだ。「賛成してやってもいいけれど、わが国に何かメリットはあるのか?」という条件闘争が行われている。しかも自動車非生産国が数の上では圧倒的に多い。その結果、合意形成ができずに膠着したまま、ルール改定の見通しは相当に悲観的な状態になっている。
そこで、自動車生産国のグループはこれを解釈改定に持ち込もうとしている。「自動運転車両の実験について、車両のコントロールが可能な能力を有し、それが可能な状態にある者がいれば、その者が車両内にいるかどうかを問わず、現行条約の下で実験が可能」(警察庁交通局)という、持って回った言い方は、要するにドローン同様のリモート管理でも管理下とみなそうよという意味だ。
条約回避のロジックとしては苦しいが、一方で先進国の世論が自動運転容認に向かっている現状から言えば、カビ臭いルールは改定すべきである。条約が無人運転を禁じた本来の精神は、今日言うところの自動運転を禁止する目的ではなかったことは明らかで、科学技術の進歩の障害になりつつある。
生産国側は、当然次のステップでこの文言から「実験」の文字を消そうとするだろう。でなければ実験の意味がない。まあ賛成も反対も海千山千。必ずしも人類の未来に良かれと考えているわけではないので、簡単に決着はつかないだろう。
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