さて、先ほど示したこの関連資料の出所が警察庁交通局であることはとても興味深い。
長らく「自動運転などリスクが高いに決まっている!」というスタンスだった警察が、交通事故の減少のためにはヒューマンエラーの排除が効果的であることを積極的に認め始めたことは大きい。恐らくは世論の「優秀な技術を持つ日本企業の足を引っ張るのは役所の不見識」という批判が相当にこたえているのだと思う。
かつてボルボが日本の役所にスウェーデンの役人や英国の保険会社を連れて来て、エビデンスを並べ、理屈で説き伏せ、衝突軽減ブレーキを認可するよう辛抱強く交渉したころから見ると、役所も随分変わりつつある。外圧が行政を説得したからこそ、スバルがアイサイトを実用化できたというのは日本にとって不名誉な歴史的事実であるが、昨今役所も少し進歩した。
今や、日産自動車がコマーシャルで「スイッチひとつで自動運転」とモラルの欠けたメッセージを発信し、自動車業界内からも大きな批判が巻き起こった時にさえ、国土交通省は「自動運転の発展を妨げるような指導は行わない」として沈黙を守った。つまり、今後自動運転の発展に際して、少なくとも国内の役所が大ブレーキになる恐れは以前と比べれば大幅に低減したと考えて良いだろう。
しかし、それは旧来との比較やスタンスの変更であって、現時点の法規制の到達点ではない。例えば、9月5日に国内発売されたアウディA8は、米国ではレベル3相当、つまり緊急時にドライバーに運転交代する前提での自動運転となっているが、国内ではレベル2相当として販売せざるを得ない。
レベル2とは、ドライバーがいかなる時にも安全責任を負い、ドライバーの監督下で、運転支援システムが加減速と操舵を操作するものだ。端的に言えば、レベル2は自動運転ではなく、レベル3は条件付きとはいえ自動運転である。
さて、そんなわけで部分的な自動運転は技術的めどはもう立っているのだが、国際政治が折り合い点を見つけ、受け入れる準備にどの程度かかるのかとなると、自動車ジャーナリストの知識でまかなえる範疇(はんちゅう)を超えてしまって何とも言えない。
ただし解釈で何とかなる範囲であればまた話が違う。米国で実現可能なら、常識的には国際条約には抵触しないはずなので、日本の行政が先行国の様子をちゃんと見ていれば、ほどなく規制は少なくとも同程度には緩和されるだろう。
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