世界一の印刷インキメーカーが、「食べられる藻」を40年以上前からつくり続ける理由スピン経済の歩き方(2/6 ページ)

» 2018年11月06日 08時00分 公開
[窪田順生ITmedia]

当時の人類は追いつめられていた

 大日本インキといえば、「印刷インキ、有機顔料、PPSコンパウンドで世界トップシェアの化学メーカー」(DICのWebサイト)。ぶっちゃけ、口に入れるものをつくっているイメージは皆無だ。ゴリゴリの化学工業メーカーがなぜ「食べられる藻」をつくっているのか。

 近年のスーパーフードブームに便乗して参入したにしては世界30カ国で展開するなどガチ感がハンパない。ということは、印刷インキの流れで、ソーダ味アイスの天然色素のように「着色」というところからスタートしているのか。

(写真提供:ゲッティイメージズ)

 それらの疑問を、スピルリナの製造販売を担っているDICの子会社、DICライフテック株式会社にぶつけたところ、同社の学術部長から意外な答えが返ってきた。

 「私たちがスピルリナの商品化をスタートさせたのは今から40年以上前。最初は健康食品とか着色料などではなく、もともとは世界の食糧不足を解決しようということで、“石油たんぱく”とセットで開発が進められていたのです」

 若い世代にはまったくピンとこない話だが、実は1960年代の世界では石油から食品を生み出そうという研究が盛んに行われていた。といっても、石油を固めて食べるとかではなく、「酵母」という微生物に、石油の副産物ノルマルパラフィンを食べさせて増殖をさせるというもの。酵母は主にたんぱく質から構成されているので、石油を食品へ変換できる新技術として注目を集め、日本でも化学メーカーなどが開発にしのぎを削っていたのである。

 と聞くと、理屈は分かるけれど、わざわざ石油を食べ物に変えなくてもと思うかもしれないが、当時の人類はそこまで追いつめられていた。今のペースで人口が増えていけば遅かれ早かれ食料の奪い合いになる。そこで圧倒的に不足するのが、たんぱく質であるというレポートが次々と公表され、肉、卵、乳製品など従来の食品以外で、たんぱく質をつくり出す方法が求められていた。その中で有力視されていたのが、当時は「無限の資源」と思われていた石油だったのだ。

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