東京進出を果たしたことで、残る「空白県」は秋田のみとなった。この点について、阪上氏は「諸事情により遅れてしまっておりますが、秋田への出店も検討させていただいております」と本書で述べている。
なぜ、阪上氏は東京進出をこれほど遅らせたのだろうか? その理由については「じらすだけじらして、満を持して東京進出する、という作戦だ」と明かしている。阪上氏は自身のビジネスモデルに自信を持っていたが、激戦区の東京で失敗してしまうとブランドが傷ついてしまうと考えていた。そこで、東京以外に進出し、「なぜ東京に進出しないのか?」という声が高まったタイミングで出店しようと判断したのだ。
出店先でことごとく成功してきた乃が美だが、京都で受け入れられるまでには時間がかかった。京都に出店した当初、高級「生」食パンが閉店直前まで売り切れないこともあったという。阪上氏は不調の原因について、味ではなく「よそ者へのハードルが高い」土地柄にあったと分析している。開店から1年で他のエリアと同様に売れるようになったが、このとき、多店舗展開の難しさを痛感したという。
乃が美を急成長させた阪上氏とはどんな人物なのだろうか。阪上氏は高校卒業後、大手スーパーのダイエーに就職した。配属先は芦屋店(兵庫県芦屋市)のデリカコーナーだった。最初は仕事に慣れなかったが、コロッケやすしの実演販売を企画するほどのアイデアマンだった。
いろいろな施策がヒットしたこともあり、芦屋店は全国300店舗中1位の業績をたたき出した。ダイエーの創業者に表彰されたこともあったという。
その後、阪上氏は経営者になりたいという野望を抱き、ダイエーを退職。トラック運転手を経て、最盛期には居酒屋や携帯ショップなど60店舗を経営する実業家になった。だが、飲食店の利益率が低く、天候などに左右されやすい業態であることに課題を感じるようになっていった。
2007年に大阪プロレスの会長に就任したことが阪上氏の転機となった。大阪プロレスは老人ホームを定期的に慰問していたのだが、阪上氏はたまたま大量の食パンの耳が残っていることに気付いた。職員に聞くと、歯が悪いので固いものが食べられないという。そのことがきっかけとなり、耳までやわらかいパンの開発を思いついた。
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