アメコミの巨匠スタン・リー 知られざる「日本アニメに見いだした夢」ジャーナリスト数土直志 激動のアニメビジネスを斬る(5/6 ページ)

» 2019年01月16日 07時00分 公開
[数土直志ITmedia]

かつてのアメコミに似た可能性見いだす

「HEROMAN」からさらに日本アニメ・マンガの歴史に視座を広げると、晩年のスタン・リーが抱いた日本への関心も読み解ける。日本のアニメ・マンガに、かつてのアメコミの歴史を重ねていたのではないだろうか。1960年代〜70年代のアメコミの状況と2000年代の米国における日本アニメ・マンガの立場は共通することが多い。

 かつて米国でアメコミはさまざまなエンタテインメントの中で最下層の扱いだった。高い人気にもかかわらず、ニッチで、取るに足らないもの、暴力やお色気ばかり、子どもに悪影響があるとされてきた。

 それに一番憤慨し、アメコミの地位向上に人一倍努力したのがスタン・リーだ。その結果、2000年代に入る頃にはアメコミ原作のハリウッド映画は一般人も鑑賞するようになった。ビッグマネーを生みだすエンタテインメントの中心になり、その評価は格段に上昇した。

 一方00年代の日本アニメ・マンガといえば、少年少女の間で人気が高く、質の高い作品も多いにもかかわらず、大人たちは暴力とセックスばかりで類型的な番組と見なしていた。1960年代、70年代のアメコミを知るからこそ、スタン・リーは日本アニメ・マンガの可能性にいち早く気づいたのではないか。

 スタン・リーの晩年に、名義貸しのようなビジネスが多かったのは確かだ。またスタン・リーとPOW!Entertainmentにとって、出資者や作品の発表の場を提供してくれるといったビジネス面で日本企業が魅力的だったのは間違いない。

 しかし彼がたくさんのオリジナルプロジェクトを抱えながらなかなか進まなかった状況で、日本関連では3つの大きな作品が実現している。それは晩年のスタン・リーが日本コンテンツに特別な関心を持ち、次のチャンスがそこにあると考えたからでないだろうか。

 アメコミ原作の映画は、スタン・リーがマーベルの映画事業から実質的に離れてから花開いた経緯がある。そして彼が2000年代から目をつけた日本コンテンツは10年代に動画配信ビジネスが拡大することで一気に盛り上がった。

 10年代後半には、日本アニメ・マンガ・ゲームのハリウッド実写化企画が続出している。それこそがスタン・リーが想像していた未来だったのかもしれない。彼が数々のヒット作を生み出してきた嗅覚のするどさがなせるわざといえるだろう。

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