スバルの問題は、エンジニアリングを統べるプリンシパル(原理原則)がないか、あるいは常に伏せられていることだ。もし「視界にこだわれ」という指令ではなく「認知にこだわれ」という指令が出ていたら、全ての部署のエンジニアが「自分の受け持ち範囲での認知性能の向上とは何か?」と考えられるはずだし、それはクルマ1台を串刺しにするテーマとしてもっと明確になるはずだ。そして全員の力で、認知性能の総合力を高められるはずである。
しかし、いきなり上のディレクトリ(階層)を飛ばして「視界」から話を始めてしまったら、そこには永遠にたどり着けない。
SYMMETRICAL AWDも同じだ。上の階層は何なのか? それは、恐らく低重心化と四輪の駆動力が常に確保されることによるクルマの手の内化だろう。条件が厳しくてもいつでもドライバーが思うようにクルマが走る。だがそれは限界の高さに挑戦することとは違う。まずは普通に乗っていつでも心が落ち着くような、あるいはクルマが裏切らない安心感があることが最初だ。その上で、それが厳しい環境ですら揺らがないことに意味がある。
そういう考え方に基づいて見たとき「安心と愉しさ」は決して間違っていないし、重要なテーマだ。だがしかし、そこから具体的なエンジニアリングへとつながるプリンシパルがあるのかないのか示されていない。「スバルらしい走りとは何か?」。少なくともこれまでの取材で会ったエンジニアの誰一人としてそこを答えてはくれなかった。
そうなるのはなぜなのか? ここからは筆者の推測だ。恐らくそれはセクショナリズムに起因しているのではないか? スバルの社内では「オープン」というテーマが永らく語られていると聞く。そしてどうも実現はされていない。
オープンにするのは痛みが伴う。なぜなら自分の専門ジャンルに他が口を差し挟むからだ。手の内を誰にも見せず、相互不可侵を守れば、誰もが自分が思う理想を、あるいは美しい穴を誰にも干渉されることなく掘り続けられる。
しかしオープン化すれば、多様な意見を聞かなくてはならない。ああしてくれ、こうしてくれとうるさく言われる。オープンとは、同じテーマに多くの人の知見を借りることだ。当然面倒なことがたくさん起きる。それでもオープンが大事だとされるのは、そうやって投入された多くの知見によって、イノベーションが起きるからだ。
しかし、世の中の多くのエンジニアは何時も理想にたどり着く日を夢見ている。だから他人に口出しされることなく一直線に理想に到達したい。
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