18年9月、スズキは、中国の重慶長安汽車に自社の出資分50%すべてを譲渡することを発表した。スズキの中国進出は早く、むしろ90年代には順調だったのだが、中国経済の発展とともに、徐々に台数を落としてきた。同社の長尾正彦常務は、19年の第3四半期決算で、中国撤退について「そもそも(クルマの)大きさが合っていない」と述べた。
日産がEVに賭けたために中国にバッテリー生産を譲渡したのとは逆に、スズキは今の限られたリソースを、不利な中国に賭けても勝ち目がないと判断した。その対極にはインドマーケットの伸張がある。他のメーカーにとって飛ぶ鳥を落とす勢いのマーケットは中国だが、スズキにとってはそれはインドだ。スズキは「大きさが合っていない」中国でこれ以上頑張って消耗することよりも、インドで勝負を賭けることにしたのだ。
スズキの説明によれば、インド政府は、欧州のプロパガンダの非現実感にようやく気付き始めた。国を挙げてEV化を進めようと本気で考え、政策を立案したとき、インドの電力インフラのぜい弱性や、国民所得に対するEVの価格が普及を妨げることに気付いた。普及しなければ環境は改善されない。人々がEVの価格に閉口して、何時までも旧式のガソリン車に乗り続けるようでは深刻化の一途をたどる大気汚染問題を解決できない。人々が財布を開いて買えない商品では目的が達成できないのだ。スズキは今後、インドで徹底したHV攻勢をかけようとしている。
だいぶ文字数を割いて説明してきたので、すでにおおよその予測はついているだろうが、中国最大のカントリーリスクは、擬似的な自由経済の上に共産主義政権が乗っていることだ。
本当の自由経済諸国では起きないさまざまな恣意的な規制や横暴とも言える要求がメーカーの戦略を翻弄(ほんろう)する。それでもマーケットは巨大だ。それを取りにいきつつ、政府の裏をかくくらいの戦術が求められている。
それだけの戦いができているのは実際のところトヨタだけだと思う。そしてインドという活路を持っているスズキは、そういう戦いに見切りを付けた。各社の戦略が吉と出るか凶と出るかは10年後にだいぶ見えてくると思う。
1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(カー・マガジン、オートメンテナンス、オートカー・ジャパン)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。
現在は編集プロダクション、グラニテを設立し、自動車評論家沢村慎太朗と森慶太による自動車メールマガジン「モータージャーナル」を運営中。
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