なぜ「小僧寿し」は危機に陥ったのか 犯人は“昭和のビジネスモデル”スピン経済の歩き方(3/5 ページ)

» 2019年04月02日 08時00分 公開
[窪田順生ITmedia]

信じられない「拡大路線」

 なぜ2300店舗という現在では信じられない「拡大路線」が取れたのか。寿司を売る場所がそんなになかったのか。30年前の日本人は寿司を今よりもっとバカバカ食べたのか。

 そうではない。全国を小僧寿しで塗りつぶすくらいの勢いで展開をするのが、昭和のビジネスモデルとしては当たり前だったのだ。分かりやすいのが、持ち帰り寿司とほぼ同じ時期に全国展開がスタートしたコンビニと宅急便である。

 小僧寿しが100店舗を達成した翌年の1974年、セブン-イレブンが東京・江東区に一号店を出した。その後、急速に全国へ広がっていくのはご存じの通りだ。1976年には大和運輸(現・ヤマト運輸)が「宅急便」のサービスをスタートする。関東の企業向け輸送をしていた同社が始めたこの画期的サービスは瞬く間に広がり、日本全国に配送網が張り巡らされていった。

セブン-イレブンも苦戦していて、背景にあるのは……(写真提供:ゲッティイメージズ)

 このような昭和のビジネスモデルによって、小僧寿しは成功を収めた。そのため、時代が平成となり人口減少社会となってからも、「右肩上がり幻想」を引きずっていた可能性があるのだ。

 それを象徴するエピソードが、小僧寿しの創業者、山木益次氏が2004年に出版した『強さと弱さ 小僧寿しチェーンの秘密』(ストーク)の中にある。本の中で山本氏は近年、小僧寿しの売り上げが落ちているのは、商圏が縮小しているからだと分析している。

 調査をしたところ、1991年のユーザーの33%は、徒歩や自転車で3分以内から来店していた。しかし、2003年になるとこの層が72%に増加。さらに、自動車で5分以上かけてくる客も激減していた。

 近場の客が増えているにもかかわらず、売り上げに現れていないということは、店の数が少なくて客を取りこぼしているからだ。ならば、同じ商圏内に集中的に出店して、ロイヤリティーを高めていけばいい――。

 そんな考えから、セブン-イレブンのようなドミナント戦略をすべきだというのである。

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