かつての通勤ラッシュは、いまよりももっとひどかった。1975年度の平均混雑率は221%だったが、2000年度には175%まで下がり、17年度には163%となっている。
一方で75年度を100とした輸送力指数は、17年度に166まで上昇。輸送人員指数はバブル時代の90年度に138まで上がったものの、17年度には123になり、改善の効果は見られるようになっている。信号設備の改善で列車の本数を増やしたり、路線の増加で輸送力をアップさせたりと、鉄道事業者はさまざまな取り組みを行ってきた。
有名なのは国鉄時代の「通勤五方面作戦」である。65年度から71年度の長期計画で、東海道本線・中央本線・東北本線・常磐線・総武本線の各方面の輸送力を抜本的に改善しようとしたものである。現在のJR東日本の複々線区間は、この時代の輸送力強化のおかげで快適な通勤が可能になっている。なにせ、この取り組みが行われる前の混雑率は、300%を超えていたところがあるのだから。
以前の東海道本線と横須賀線は、東京〜大船間で線路を共有していたが、その後分離。その前に総武本線も快速線と緩行線を分離させ、快速線を東京地下駅、品川駅と乗り入れさせている。この東京〜品川間は横須賀線に編入される。
東北本線・高崎線は赤羽〜大宮間で、京浜東北線と線路を共有していたのを分離した。以前もラッシュ時には貨物線を使用して京浜東北線と分離していたが、抜本的な解決を図った。常磐線は緩行線を地下鉄に乗り入れさせ、快速線を上野に直結させた。
中央本線は、御茶ノ水〜中野間の複々線を三鷹まで延長し、東西線との直通運転を行った。だが、三鷹〜立川間の複々線化工事は行われず、快速線の過密運転は現在も続き、遠方からの特急が朝の時間帯に新宿駅に乗り入れられない状況になっている。もし三鷹〜立川間の複々線化が完成していたら、中央本線の朝ラッシュはもっと緩和されていたはずである。
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