こんなに便利で快適となれば、そしてリーズナブルなコストで利用できるのであれば、多くの人が可能な限り自動運転車を使って移動しようとするはずだ。すると路上には現在より圧倒的に多くのクルマが溢れることになってしまう。
そうなればいくら単体では渋滞を引き起こしにくい自動運転車であっても関係ない。交通量が一定の閾値(いきち)を超えたとたん、大渋滞は不可避だ。しかも自動運転車と非自動運転車が混在する過渡期においては自動運転車による渋滞抑制効果は働きにくい。
いくら途中で楽しく過ごせる、もしくは充実した時間を快適に過ごせるとしても、今よりも大幅に通勤・通学時間が掛かるということになれば大半の人にとって利用する気は失せるだろう。
そう、自動運転車が普及する過程においては、利用者が急増しては都会では渋滞が加速度的に悪化し、それを嫌がって利用者が再度減少する。そうしたことが繰り返される可能性が高い。
この問題を解消する方法は「水道管にもっと多くの水を流すにはどうしたらいいか」と同じ理屈だ。すなわち菅をもっと太くするか速度を上げるかしかない。
「菅をもっと太くする」ために、多くの箇所で道路幅を増やして車線を増やすことも、ましてや新たなバイパス道路をそこかしこに建設することも、都会では残念ながら非現実的だ。もちろん「空飛ぶクルマ」が実用化されれば「管」は無限大になるが、それはいつのことになるやら。
自動運転車ばかりになれば「速度を底上げする」ことも選択肢に挙がるだろうが、それが可能になるのは20〜30年先となろう(しかしその時には労働人口が減って渋滞も解消されようし、5Gの普及とその他のテクノロジーの進化によってそもそもオフィスや現場に「出勤する」必要すら無いかもしれない……)。
つまり結論としては、いくら自動運転が技術的に可能になっても、当面はそれを通勤・通学に利用できるようになるのはもともと交通量の少ない地方だけということになりそうだ。
しかし日本では、大都市圏への人口一極集中がこれ以上進まないためにはそのほうがよいのかもしれない。(日沖 博道)
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