「どさん子ラーメン」は今…… 急成長から衰退までの経緯と復活のシナリオに迫る長浜淳之介のトレンドアンテナ(2/5 ページ)

» 2019年05月28日 05時30分 公開
[長浜淳之介ITmedia]

模倣するチェーンが出現

 しかし、ひとり勝ちはいつまでも続かない。圧倒的成功を模倣するコンペティターが出現したからだ。特に、サトー商事が経営する「どさん娘」は約800店、北宝商事が経営する「どさん子大将」は約700店まで伸び、いずれも巨大チェーンに成長した。札幌みそラーメンを提供する3つのチェーンが全国で競合して、しばしば混同された。ちなみにどさん子ラーメンは68年に設立した青池氏が率いる北国商事(89年にホッコクへと社名を変更)がその頃は経営していた。

 当初は、みそラーメンの珍しさで全国制覇したどさん子ラーメンであるが、紛らわしい店も含めて2500店以上に増えれば、どこにでもある存在となる。80年代から90年代にかけて陳腐化してしまい、次第に消費者に飽きられ始めた。

 これらコンペティターの中には、元々どさん子ラーメンのフランチャイジーだったところが、勝手にFC本部を立ち上げたケースもあったという。

 記憶に新しいところでは、「和民」と「魚民」、「月の雫」と「月の宴」、「塚田農場」と「山内農場」、「鳥貴族」と「鳥二郎」などのような紛らわしいコンペティターの出現は、飲食業界では決して珍しいことではない。たいがいのケースではオリジナルの先行者のほうに甚大な不利をもたらすが、残念ながらどさん子シリーズは、追従者に甘い汁を吸わせてしまう悪しき先例となってしまった。

 北国商事も黙っていたわけではなく、「どさん娘」のサトー商事を訴えて裁判になり、“どさんこ”と読ませるのを“どさんむすめ”に変更させるなどしたが、消費者にしてみればどうでもいい話で、たいていの場合、普通に“どさんこ”と呼んでいたのではないだろうか。

 どのチェーンのFCオーナーも一国一城の主として成功を目指し、高いモチベーションで店を始めていた。そのため、店のブランド名や味のよしあしよりも、地域に密着した店主の魅力で店舗が拡大した面もあった。

 しかし、モチベーションが高過ぎることは、時に逆効果を生む。最盛期の頃は夫婦で朝の11時頃から夜遅くまで働き詰めというFC店も多く、その猛烈な忙しさと苦労の日々を目の当たりにした息子や娘は、店を継ぎたがらなかった。90年代以降、古くからの加盟店では後継者難によって閉店に追い込まれるケースが続出。現在までその流れを食い止められないまま来てしまっている。

photo どさん子大将
photo どさん娘

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