しかし、ひとり勝ちはいつまでも続かない。圧倒的成功を模倣するコンペティターが出現したからだ。特に、サトー商事が経営する「どさん娘」は約800店、北宝商事が経営する「どさん子大将」は約700店まで伸び、いずれも巨大チェーンに成長した。札幌みそラーメンを提供する3つのチェーンが全国で競合して、しばしば混同された。ちなみにどさん子ラーメンは68年に設立した青池氏が率いる北国商事(89年にホッコクへと社名を変更)がその頃は経営していた。
当初は、みそラーメンの珍しさで全国制覇したどさん子ラーメンであるが、紛らわしい店も含めて2500店以上に増えれば、どこにでもある存在となる。80年代から90年代にかけて陳腐化してしまい、次第に消費者に飽きられ始めた。
これらコンペティターの中には、元々どさん子ラーメンのフランチャイジーだったところが、勝手にFC本部を立ち上げたケースもあったという。
記憶に新しいところでは、「和民」と「魚民」、「月の雫」と「月の宴」、「塚田農場」と「山内農場」、「鳥貴族」と「鳥二郎」などのような紛らわしいコンペティターの出現は、飲食業界では決して珍しいことではない。たいがいのケースではオリジナルの先行者のほうに甚大な不利をもたらすが、残念ながらどさん子シリーズは、追従者に甘い汁を吸わせてしまう悪しき先例となってしまった。
北国商事も黙っていたわけではなく、「どさん娘」のサトー商事を訴えて裁判になり、“どさんこ”と読ませるのを“どさんむすめ”に変更させるなどしたが、消費者にしてみればどうでもいい話で、たいていの場合、普通に“どさんこ”と呼んでいたのではないだろうか。
どのチェーンのFCオーナーも一国一城の主として成功を目指し、高いモチベーションで店を始めていた。そのため、店のブランド名や味のよしあしよりも、地域に密着した店主の魅力で店舗が拡大した面もあった。
しかし、モチベーションが高過ぎることは、時に逆効果を生む。最盛期の頃は夫婦で朝の11時頃から夜遅くまで働き詰めというFC店も多く、その猛烈な忙しさと苦労の日々を目の当たりにした息子や娘は、店を継ぎたがらなかった。90年代以降、古くからの加盟店では後継者難によって閉店に追い込まれるケースが続出。現在までその流れを食い止められないまま来てしまっている。
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