#SHIFT

『思考の整理学』著者・95歳“知の巨人”外山滋比古が歩んだ「反常識人生」「知的試行錯誤」のすすめ【中編】(2/3 ページ)

» 2019年06月24日 05時00分 公開
[外山滋比古ITmedia]
※本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

「スパイのことばをやるやつ」と言われて

 いやだったのはまちの愛国者。下宿探しをしていると、「スパイのことばをやっているやつには、部屋を貸せない」という善良なじいさんがいた。

 学校のテキストの下読みをしていて、前に立っている人品いやしからぬ紳士から「恥を知れ」と、平手打ちを食わされたというクラスメイトの話を聞いて、じっとこらえるのは楽ではなかった。

 いくらなんでも、やがて戦争は終わる。それまで生きていられないかもしれないが、いったんやると決めたことを、都合がわるくなったから、やめます、というのはいかにも卑劣である。ひそかにそんなことを考えて、いやな思いを振り捨てた。

 おかしかったのは、英語を捨てて高等部などへ入学しなおした人たちである。もとは英語をやっていたのだからといって、戦後、英語にもどってきて、米軍のアルバイトをやり、チョコレートなどをもらって喜んだ連中がいたことである。

 英文科に籍をおきながら、米軍の雑役をアルバイトにして、ときめいた若者がすくなくなかったことである。

 にがにがしく思っていたが、天は正直である。どういう罰を与えたのか分からないが、あわれなことになるケースが続出したのである。あわれというにはひどすぎる。

 自殺するのである。どうして命を断つのか、想像もつかない。すくなくとも、学生や若い者としては法外な収入があったはずである。しかし、死ぬほどのことがあったらしい。

 われわれ意気地なしは、米国人にこき使われるより、食べるものにこと欠いても、意地を張って旧敵の文化を学んでいたから、死ななくてすんだのかもしれない。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.