安室奈美恵がJ-POPの女王になれた秘密――「売れたモノこそ実は先鋭的である」ビジネス戦略にも通じる歌姫の“大転換”(2/3 ページ)

» 2019年06月26日 07時10分 公開
[高橋芳朗ITmedia]

ヒップホップの台頭が転機に

 なぜこういう事態になったのか? それは端的に言うならば、ヒップホップの台頭によるものです。厳密にはヒップホップ、そしてヒップホップの影響を受けたR&Bの台頭。ヒップホップとその影響を受けた音楽が、アメリカのポップミュージックの主流になってきたことに起因しています。

 『CDでーた』96年4月5日号の記事によると安室さんは95年の暮れ、小室さんと今後の方向性について話し合いをしたそうです。安室さんは「ミディアムテンポのブラックミュージックを歌ってみたい」と自分の意向を伝えたそうですが、その真意はずばりこうでしょう。「これからはヒップホップ、R&Bの時代になる」―― きっと安室さんは、時代のムードを察知したのだと思います。

 こうした当時のポップミュージックの方向性を決定づけたのがアメリカはアトランタから出てきた女の子3人組、TLCであり、彼女たちが94年10月にリリースした『Crazysexycool』です。この『Crazysexycool』は90年代で最も影響力をもったアルバムの1枚で、ここから生まれた最大のヒット曲が全米チャートで1位を記録した「Creep」になります。

photo 安室さんに大きな影響を与えたアメリカの3人組ユニット、TLC(ロイター提供)

 TLCは92年にアルバム『Oooooooohhh...On the TLC Tip』でデビューしていますが、当時はもっとにぎやかで快活なサウンドを打ち出していました。そんなこともあって、『Crazysexycool』の先行シングルとして「Creep」がリリースされたときは、曲のテンポの遅さ、そして派手な装飾を排除した地味なたたずまいに大きな衝撃を受けた記憶があります。リードボーカルを務めるT・ボズのキーが低くて念仏のように抑揚のない歌は、以前にも増して無愛想に聴こえました。

 この「Creep」からも分かるように、TLCは体裁こそポップながら標榜(ひょうぼう)する音楽スタイル自体は非常に先鋭的だったんです。安室さんは「Don't wanna cry」以降、徐々にR&B色を強めていくことになりますが、そんな中でこのTLCの音楽性に確実に影響を受けていたと思います。

 99年9月に安室さんがリリースしたシングル「SOMETHING 'BOUT THE KISS」は、その確かな証左になるでしょう。というのも、ここで安室さんは小室さんとの共同プロデューサーとして件のTLC「Creep」を手掛けていたダラス・オースティンを起用しているんです。アメリカの音楽業界ど真ん中で活躍する売れっ子プロデューサーを迎えた安室さんの大胆な人選は、当時センセーショナルな話題を集めました。

 「SOMETHING 'BOUT THE KISS」でのダラス・オースティンの起用は、95年10月リリースの「Body Feels EXIT」から続いてきたTK体制の終焉を示唆するものでした。そしてこの「SOMETHING 'BOUT THE KISS」から2年後、2001年1月リリースの「think of me / no more tears」をもって、ついに安室さんと小室さんとのコラボレーションは終止符を打つことになります。これを契機として、安室さんはさらにR&B/ヒップホップ路線を押し進めていくわけです。

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