こうした流れを踏まえると、R&Bの要素を最初に取り入れた「Don't wanna cry」からTLCを手掛けたダラス・オースティンをプロデューサーに起用した「SOMETHING 'BOUT THE KISS」まで、この3年が以降の本格派シンガーとしての安室さんの布石を築いた時期と言えるのではないでしょうか。「SOMETHING 'BOUT THE KISS」は安室さんにとって短冊型の8センチCDでリリースした最後のシングルでもあるのですが、その意味でも時代は大きな節目を迎えていたのでしょう。
安室さんの「SOMETHING 'BOUT THE KISS」のプロデュースを手掛けたダラス・オースティンは当時TLCのチリと交際していたこともあって、安室さんとTLCの間には交流が生まれています。2013年にTLCが結成20周年を迎えた際には、TLC with Namie Amuroの名義でTLCの代表曲「Waterfalls」のニューバージョンをリリースしました。
最後に総括の意味も込めて、再びTLCの曲を紹介しましょう。安室さんの「SOMETHING 'BOUT THE KISS」よりひと足早い、1999年2月にリリースされたアルバム『Fanmail』収録の「No Scrubs」。「Creep」と同じく、この曲も全米チャートで1位を獲得する大ヒットになっています。
TLCがのちの音楽シーンに与えた影響には、すさまじいものがあります。現在のアメリカのポップミュージック最前線でしのぎを削るアーティストは、もはやただ売れているだけでは真の意味での頂点には立てません。売れることは当然として、なおかつ新しいサウンドを提示してトレンドセッターになってこそのトップアーティストなんです。TLCは「最も売れている者こそが最も先鋭的である」という、そういう価値観をシーンに定着させた張本人と言っていいでしょう。
安室さんがTLCから受けた影響は、音楽面はもちろん、こうした彼女たちの姿勢やイズムにも及んでいるのではないかと考えています。売れて、なおかつ最先端に君臨してこそのトップアーティスト。本格R&B路線以降の安室さんの攻めた作品からは、そんなTLC譲りの美意識が聴き取れます。
1999年、TLCの『Fanmail』のリリースに合わせて、渋谷109の壁面にはアルバムの発売を告げる巨大な広告が貼り出されました。その広告を見上げながら「これで時代はロックからヒップホップへと移行していくのだろう」と、しみじみ感じたことはいまでも鮮明に覚えています。それはまさに、ポップミュージックのパラダイムシフトが起こった瞬間だったのかもしれません。
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