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» 2019年07月09日 05時00分 公開

大バッシングから学んだ「真っ向勝負」:2度の網膜剥離、へし折られた腕……負け続けた格闘家・大山峻護が描いたセカンドキャリア (2/5)

[瀬川泰祐,ITmedia]

信じるチカラが起こした奇跡

 約14年間のプロ格闘家としての通算戦績は、33戦14勝19負。大山はなぜそこまで戦い続けることができたのだろうか。大山は、自身の現役時代を振り返りながら、こう語る。

 「現役時代は、“もしこの相手に勝ったら、自分の人生がどう変わるんだろう”って想像してワクワクしながら試合に挑んでいました」

 大山は、常に自分の力を信じて未来を描き続けていた。そんな大山の戦績の中で、ひときわ輝くレコードがある。05年12月31日に『K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!』で行われた「伝説のファイター」であるピーター・アーツ戦だ。この大みそかのリングは、格闘界のスター選手が集う華やかな舞台だ。当時、お世辞にもスター選手とはいえなかった大山が、なぜ大みそかのリングに立つことができたのか。そこに至った面白いエピソードを紹介しよう。

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 2005年より『K-1 HERO’S』のリングに上がっていた大山は、その年の目標を決める際に、いつどこで誰と戦ったら最も興奮するかをコーチと話した結果、「日本中の人が注目する大みそかの舞台でピーター・アーツと戦って、1分以内に勝つ」という目標を頭の中に描いた。

 当時のピーター・アーツといえば、格闘技界のスーパースターであり、大山と比べれば明らかに格上の選手だった。大山は、そんな相手と戦い、大観衆の前で、テレビを見ている視聴者の前で勝利して雄たけびをあげることだけを妄想し、興奮しながら日々の練習に励む。どんな喜び方をするのか、勝利者トロフィーのどこにキスをするのかまで詳細にイメージした。

 だが、大会1カ月ほど前に発表されたピーター・アーツの対戦相手に、大山の名前はなかった。それを知った大山の落胆は、さぞ大きなものだっただろう。と思いきや、この時、大山はとんでもない行動に出た。なんと、大みそかのリングに立つ予定もないのに、ピーター・アーツと戦うことだけを信じ、沖縄で強化合宿を敢行する。何かの奇跡が起きることを信じ切って、大みそかのための準備をすることにしたのだ。戦う相手もいないのに。

 もちろん、周囲の人間には大笑いされたが、それでも、大山は沖縄の海岸の砂浜をダッシュし続けた。すると、信じるものは救われるのだろうか。なんと、ピーター・アーツの対戦相手が怪我(けが)をして欠場することになったのだ。常識的に考えれば、大みそかの直前に、試合に出場するためにコンディションを作っている格闘家など、日本中のどこを探してもいるはずもない。だが、一人だけ、いたのだ。ピーター・アーツに勝つために沖縄で合宿をしていた大山峻護が……。

 かくして大みそかのリングに立った大山は、あのピーター・アーツから本当に開始30秒で勝利してしまう。イメージ通りの試合を行い、夢に描いた通りに、リング上で勝利の雄たけびをあげたのだった。

 「僕には格闘技センスも体力も全くありませんでした。僕に唯一あったのは、信じる力だけでした。僕は結果だけを見れば、決してチャンスをものにしてきたファイターではないですが、恐れずにチャレンジしてきたことが、今になって生きていると感じます。それは引退してから分かったことですけどね」

 そう、大山は未来を描く力を武器にして人生を切り開いていったのだ。

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