第2の転機は04年以降の中国進出期である。
大口得意先だった携帯電話メーカーからの要請もあって、04年に大型投資を行って中国・天津に工場(現地法人)を設立。当時は、円高対策として生産コストの削減、さらに海外需要の掘り起こしを目的に、大手企業ばかりでなく中小企業の海外進出にも拍車が掛かっていた。携帯電話市場は拡大の一途をたどり、成長産業と見られていた。
狙い通り、受注は順調に増加。年売上高は06年3月期約20億8700万円、07年3月期約28億1000万円と伸ばし、08年3月期には約41億7700万円と40億円を突破するなど急拡大を続ける。一層の需要拡大が見込まれたため、天津工場の設立から4年後となる08年には深圳にも工場(現地法人)を開設、中国2工場・国内1工場体制を確立させた。
なお、04年以降の5年間、中国進出に際してダイナテックの借入金は15億円近くも増加。借り入れ依存度の高い経営に対する懸念は、既に当時から生じていた。
その直後に状況は大きく変化し、ダイナテックは、強い逆風に見舞われることとなる。世界経済を大幅に冷え込ませ、国内でも企業倒産の急増をもたらした08年9月のリーマン・ショックだ。
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