今、わたしたちは過去に例のない不安の時代を生きています。
人類の歴史を振り返ってみると、「不安を喚起する脅威」の大半は具体的なものでした。
「自然災害」や「捕食動物」や「敵対部族」等々、明確な対象が存在していました。たまに悪さをする“精霊”などがいましたが、呪術師がそれをなだめたりしていました。
しかし、近代以降、特に現代においては「不安を喚起する脅威」は明確ではありません。それは「日常生活のあらゆる場面にふいに顔を出す化け物のようなもの」で、ヒトとモノの過剰な流動性と技術革新によって複雑化するリスクがもたらす金融不安、雇用不安、社会不安、健康不安などの常態化です。
ある有名な社会学者は、その捉えどころのなさと、変化のスピードから「液状不安」(Liquid Fear)と評しました。ささいな出来事に「破滅的な兆候」を見いだす、パラノイアック(妄想症)的な感受性が当たり前になったのです。
ちまたでは、そのような人々の心理を巧みに利用したビジネスが氾濫しています。
いわゆる「不安産業」「不安のマーケティング」と呼ばれるものです。昨今、これを政治のゲームに持ち込んだ場合を「ポピュリズム」と言っていますが、一般大衆の感情を味方に付ける広義のポピュリズムは大昔からあるものです。
日本でも与野党に関係なく「不安な庶民」をターゲットにした手法を採用しています。非常に分かりやすい例は、自由民主党が2012年から使い始めたキャッチコピー「日本を、取り戻す」でしょう。グローバル化の進展により「中間層の没落」と「コミュニティーの衰退」が決定的なものとなり、昔日の高度経済成長に支えられた「豊かな社会」への郷愁が強まったのです。極端な話、何を取り戻すかは「有権者の妄想」に委ねられていますから、「古き良きニッポン」や「バブル華やかなりし頃」など、現在の不安を埋め合わせるイメージを好き勝手に投影できるのです。
令和に入るとより直接的なアプローチで、「不安な庶民」に訴求する事例が出てきました。今回の参議院選挙の「れいわ新選組」と「NHKから国民を守る党」(N国党)の躍進がそれです。
資金力の乏しい弱小政党が「不安な庶民」の心をつかむためには、感情に火を点ける「直接的なコミュニケーションの機会」と、自分たちと同じ立場にいると思える「生活実感に根差した明快な公約」が重要なことを示しました。
とりわけ新しい動きとして注目されるのはN国党です。
代表の立花孝志氏がユーチューバーであることばかりが話題になりますが、4月の統一地方選挙で26人が当選した事実を忘れてはなりません。所属議員一人一人の携帯番号を相談窓口として開放し、専用のコールセンターまで設ける徹底ぶりに、同党がいかに「国民との直接的なつながり」を重視した政党であるかが分かります。
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