――スーパーからパソコンの話になり、少しずつゲーム業界に近づいてきたような気がします。ハドソンとの出会いはどこだったのでしょうか。
その後、正社員としてスーパーで働き始めてから3年経(た)ったタイミングの82年3月で会社を辞めます。このころには、「月刊マイコン」の表紙裏に載っていた広告を通じて、「ハドソン」の名前は知っていました。まだファミコンが登場する前で、ハドソンがゲーム会社になる前の話です。
本社が札幌市内にあり、面白そうな会社だなあとはずっと思っていました。札幌フードセンターを辞めてから、私は一度別の会社に入ります。1カ月半ぐらい経ったとき、東京都大田区にある東京流通センターで「マイクロコンピュータショウ」が開かれ、私は出展しているソフトハウスのお手伝いとして働いたことがあります。
そのとき、私はスーパーで培った経験から大声を出して「いらっしゃいませー!!」とやっていたんですね。そしたら、ブースの斜め向かいあたりにハドソンのブースがあり、そこに社長がいたというのが最初の出会いなんです。
その後、同僚から「ハドソンに面接に行くんだけど、お前も来る?」という感じで面接に行くことがあり、社長含む役員5、6人と面接することになりました。このとき、社長が「マイコンショウ」で声を張り上げていた私を覚えてくださっていたんですね。「お前みたいなやつが営業に欲しいな」という話になり、とんとん拍子で話が進みました。
こうして82年8月、私はハドソンに入社することになります。社員番号は31番。まだまだ小さな会社でした。
――82年の8月だと、ファミコンが発売される約1年前ですね。当時のハドソンではどんなことをしていたんでしょうか。
パソコンソフトの開発・販売ですね。私もプログラムに関心があって入社したような感じです。入社3日目ぐらいで「お前今日東京来れるか」と言われ、着替え1週間分ぐらいを持って上京。そのまま東京に配属され、こうして思いがけず故郷の札幌を離れた形になります。そのまま30年ぐらい東京にいることになりました。
入社して最初に担当したのは営業で、秋葉原にあるような各販売店の商品を調べたり、店頭ポスターを貼ったり、そういう仕事を1年ぐらいしていました。サポートセンターみたいな感じですね。その後、企画宣伝部に移りました。
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