赤字に苦しんできたダイエーに“復活”の兆し 流通帝国の崩壊から黒字化までの道のりをたどる長浜淳之介のトレンドアンテナ(4/6 ページ)

» 2020年01月15日 05時00分 公開
[長浜淳之介ITmedia]

ダイエーはなぜつまずいたのか

 ダイエーはなぜ失敗したのか。不動産を購入して店舗を出店し、その値上がりを担保に金融機関から融資を受けて出店を重ねた。土地神話に根差したビジネスモデルだったため、90年代のバブル崩壊で大打撃を受けた。最大で2兆6000億円という多額の有利子負債を負ってしまった。

 しかも、一代で大流通グループを構築したものの、事業承継に成功したとは言えない。

 不運なことに、95年には神戸にあった本社が阪神・淡路大震災で被災。三宮の旗艦店も全壊して閉店を余儀なくされた。ダイエー系列店は阪神エリアに集中しており、その大半の店舗が被災した。被害総額は500億円と発表された。

ダイエーの歩み(出所:ダイエー公式Webサイト)

 中内氏は東京の自宅で震災を知ったが、倒壊の危険がない兵庫県にあった49店のうち24店を震災当日からオープン。翌日には、阪神高速道路と神戸港が被災して使えないので、神戸の西の加古川市にある東播磨港に船で商品を運び、神戸へと送った。物資不足で価格を吊り上げる動きを阻止。物価の安定に寄与した。

 これは、流通は社会インフラと考える中内氏の哲学に基づく行動。ダイエーは東日本大震災の時にも仙台店(現・イオン仙台店)をわずか2日後に営業再開した。店舗前には3500人の大行列ができたという。

 一方で、店舗の再開に手間取り、売り場の改善までにはなかなか手が回らなかった。ついには2004年に産業再生法の適用により、産業再生機構などから1100億円超の出資を受けた。丸紅が再建に取り組み、07年からはイオンの助力を受けた。

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