ソフトバンク漏えい事件で注目 ロシアスパイが操る伝説の“人たらし術”とは実はビジネスにも通じる交渉術(2/4 ページ)

» 2020年02月14日 08時00分 公開
[津久田重吾ITmedia]
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日露戦争で活躍「伝説の日本人スパイ」

 そのロシアと日本との接点は江戸時代にさかのぼる。1808年、幕府の命を帯びて間宮林蔵(1780〜1844)が樺太(サハリン)を探検し、島であることを確認した。正確な地図作りは情報活動の基本である。インターネット普及以前、全国の詳細な地図を誰もが自由に購入できる国は日本ぐらいであった。諸外国では通常、地図の作成と管理は軍の管轄である。

photo 日露戦争で活躍した日本スパイ、明石元二郎(Wikipediaより引用)

 明治時代に入ると日露戦争が勃発(ぼっぱつ)する。超大国ロシアを敵に回すことになった日本は、背後からロシアを弱体化させようと諜報活動を開始する。その中心人物が明石元二郎(1864〜1919)である。

 明石は「欧州方面駐在参謀」という正式な外交官であった。このような人物を情報機関では「リーガル」と呼ぶ。合法的に入国し、外国にあっても法の保護を受けられる身分である。今回のロシア通商代表部と同じだ。一方、明石はロシア各地に外国人からなる情報収集グループを配置した。彼らは文字通りの工作員で、国籍を偽る場合もあることから、非合法を意味する「イリーガル」と呼ばれる。

 国によって若干の違いはあるが、外国における情報活動の基本は、リーガルが司令塔となってイリーガルをコントロールし、現地の人間をリクルートしてスパイ網を構築することである。

 そんな明石の活動は、特筆すべきものであった反面「ロシア革命を影で支え、ロシア帝国崩壊をもたらした」という伝説を生むことになった。伝説は慢心を生み、今度は大日本帝国に破滅をもたらす。

「派手さ」で日本人欺いたソ連スパイ、ゾルゲ

 その切り札となったのがリヒャルト・ゾルゲ(1895〜1944)である。

photo ドイツの通信社特派員として日本に潜入し暗躍したソ連スパイ、リヒャルト・ゾルゲ(Wikipediaより引用)

 彼はドイツの通信社特派員として来日し、ナチス党員という立場を利用して日独の政府関係者から信頼を得た人物だが、その正体はソ連で訓練を受けた筋金入りのスパイであった。快活で社交的、大酒呑(の)みで女性関係も派手。一般的に情報部員は地味で目立たない方が好ましいとされるが、ゾルゲは極端に目立つことで敵を欺いた。

 その最大の功績は、日米開戦の情報をつかんだことである。つまり、日本はソ連には侵攻しない。当時ドイツと死闘を繰り広げていたソ連は、この情報に基づいて極東地域の戦力を西へ振り向け、戦争に勝利する。しかし、ゾルゲ自身はその勝利を見届けることはなかった。1944年、日本の官憲に逮捕され、死刑を執行されたからである。彼の墓所は東京の多磨霊園にあり、今もロシア大使館関係者が墓参に訪れる。

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