1分1秒を争っているのに、なぜ政治家の仕事は遅くイライラするのかスピン経済の歩き方(6/7 ページ)

» 2020年04月14日 08時43分 公開
[窪田順生ITmedia]

「組織の暴走」を招いた原因

 この当時の日本のトップたちが政府内で「調整」に手間取っている間に、広島や長崎、そして戦地で多くの命が失われた。それはつまり、もし政府内の調整がもっとスムーズにできていれば、死ななくていい人々がたくさんいたことでもあるのだ。

 阿南陸相が悪いとか、賛同した人々がクズだなどと言いたいわけではない。彼らも彼らなりに「日本のため」になることを考えていたはずだ。しかし、彼らが目指していたのは、「日本人を守る」ことではなく、「国体維持」「有利な交渉」というゴールだった。

 そのため「これ以上、日本人の命をムダにしない」というゴールを目指す人々との「調整」がうまくいかなかった。根回しもできず、議論も平行線。それが「誰も何も決められない」という後の歴史家たちが指摘する「当時の日本は思考停止していた」という状況を招いてしまったのではないか、と言いたいのだ。

 よく戦争中の日本は「軍部が暴走をした」ということになっている。では、なぜ暴走したのかという話になると、明確な答えを言える人は少ない。当時の日本軍は、ヒトラーのような絶対的な独裁者がいたわけでないからだ。旧日本軍のアイコンとして捉えられている東條英機の側近によれば、「独裁者のかけらもない」という評価で、現代のサラリーマン社長のような、典型的な調整型リーダーだったというのは有名だ。

 そこで考えられる可能性は「調整」や「根回し」を重視したから暴走したのではないかということだ。先ほどの、最高戦争指導会議を思い出していただければ分かるが、立場の違う者が集まって「調整」や「根回し」を目指す組織というのは結局、誰も何も決められない。それはつまり、責任の所在があやふやなままで、誰が決めたのか分からないような愚かな方針に黙って従わなければいけない「組織の暴走」を招くことだからだ。

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