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» 2020年12月19日 14時32分 公開

えちごトキめき鉄道の鳥塚亮社長と沢渡あまねが語る「地方企業の問題地図」 いすみ鉄道の成功から見る「地方を救うブランド化」地方企業の問題地図 【後編】(2/4 ページ)

[田中圭太郎,ITmedia]

地域の人たちとぶつからないための努力

――外から来た鳥塚さんに地元のことを「何もない」といわれて、反発する人はいなかったのでしょうか。中途採用された人が「前の会社ではこうだった」と言って、転職先とぶつかることはよくあります。そういう軋轢(あつれき)はどこでもあると思いますが、ぶつからないために取り組まれていたことはありますか。

鳥塚: 3つのことを基本的にやりました。まず、外資系の航空会社に勤めていたと聞けば、田舎の人は嫌な奴だなと思いますよね(笑)。海外旅行に頻繁に行っているとか思われて。

沢渡: それは間違いないですね(笑)。

鳥塚: だから外資系の会社にいたことについて、一切の色を出しませんでした。2つ目は、祖母の実家がいすみ鉄道の沿線近くにあったので、自分にも房総の血が流れていることをアピールしました。父親が戦前、小学生の頃に房総に疎開して、高校を卒業するまで千葉にいたので、私も方言が分かりますし、子どもの頃はよく遊びに来ていました。知らない土地ではないことを、周囲の人にことあるごとに話していました。

 もう1つは、通えない距離ではなかったのですが、地域に家を借りて住んだことです。会社から費用は一切出ませんでしたが、東京から通うよりは地元に住んで、そのことを地域の人に分かってもらうようにしました。

 一緒に食事をした人に近所まで送ってもらえば、「社長の家はあそこにある」「社長はここら辺でよく飲んでいる」という話が広がります。地元に住むのは、よそ者が地域に入っていって、親近感を持ってもらうための仁義みたいなものではないでしょうか。この3つのことを実践した以外は、特別なことはしていないですね。

沢渡: 基本的なことが大事ということですね。

鳥塚: 都会の人から見ると、田舎の人はマーケティングの言葉も知らないとか、なんだこの人は、と思うところが、どうしてもあるのではないでしょうか。そう思っているだろうなと、田舎の人も感じています。だから私はそういうことは言いませんでした。

 あとは、味方についてくれた人のほとんどが、いったん東京に出て戻ってきた人たちでした。都会を知っている人たちが商工会の会長など、いすみ鉄道を応援してくれる立場の人だったので、私の場合は地域の人たちからは逆に助けられたと思っています。

沢渡: 鳥塚さんは2019年9月に、いすみ鉄道と同じ第三セクターである、えちごトキめき鉄道の社長に就任しました。えちごトキめき鉄道は、北陸新幹線の長野駅と金沢駅間の開業に伴って設立され、かつてのJR北陸本線とJR信越本線の一部、合わせて97キロの路線を有する会社ですよね。社長に就任するにあたって、意識したことはありますか。

鳥塚: えちごトキめき鉄道には、JR西日本出身の人と、JR東日本出身の人が幹部にいます。「西ではこうだった」「東ではこうだった」という話にならないように、「JRができないことをこの会社でやる」というポリシーを明確にしています。それと、自分もやはり以前のキャリアを持ち出さないことですね。

 私が在籍していたブリティッシュ・エアウエイズでは、日本支社にはロンドンの本社から幹部が来ていました。私が40歳くらいの時に、30歳くらいの幹部が来るのですが、イギリス人には日本人を下に見るような風潮が一切ありません。植民地をたくさん抱えた歴史があり、いろいろ苦い経験もあって、文化として根付いているのではないでしょうか。本当に対等というか、私たち日本人の社員を尊重してくれました。

 だから、私がキャリアを背負って「こんなことをやってきました」と言ったら、社内の人には煙たがられるでしょう。お高くとまっている、偉そうにしていると思われないように気を付けています。実際、何も分かっていないですし、手探りの状態で、一人で乗り込んでいくわけですから。「よろしくお願いします」と仁義を切りつつ、「ただ、今まで通りにはいかないと思いますから」と言いながら、受け入れてもらうための努力は一生懸命しないといけないと思っています。

phot えちごトキめき鉄道のリゾート列車「雪月花」(同社のWebサイトより)

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