クルマはどう進化する? 新車から読み解く業界動向

“高齢”免許を定年制にすべきか? マツダ福祉車両から見るミライ高根英幸 「クルマのミライ」(1/4 ページ)

» 2021年03月01日 06時30分 公開
[高根英幸ITmedia]

 裁判の進捗状況に怒りを覚えた方も少なくないのではないか。「上級国民」という流行語を生んだ、池袋暴走事故を起こした旧通産省工業技術院の元院長飯塚幸三被告(89)の態度である。在宅での起訴となり、供述ではペダルの踏み間違いを認めていたにもかかわらず、裁判に入るや供述を覆し、クルマの故障を訴えだしたのだから、国民の感情を逆なでしたことは間違いない。

高齢者でなくてもドライバーの誰もが交通事故を起こす可能性がある。そのため運転には責任が課せられるのであり、高齢ドライバーに運転操作ミスが起こりやすいからといって、事故の責任が軽くなるものではない

 こうして公判になるや証言を翻すのは、交通事故の責任の是非だけでなく、犯罪全般における裁判を有利に進めるための常套(じょうとう)手段であり、通常犯罪であれば「またか……」という程度の印象しか抱かないものだ。けれども、池袋の件は被害者が多数おられて、家族を奪われた人までいる。それだけの重大事故を起こしてさえ、自らの責任を認めようとしないとなれば、全世界の人々から非難されても当然だろう。

 確かに2代前のプリウスであれば、経年劣化による故障は考えられなくもない。しかし車体側に残されている記録や周囲の目撃証言などから、踏み間違いは明らかだ。ところが非を認めて謝罪するどころか、クルマつまり自動車メーカーに責任を擦りつけようとする姿は、「往生際が悪い」という印象でしかない。

 これにより、飯塚被告は「自分の保身しか考えていない」ことが完全に明確になってしまった。おそらく自分が周囲からどう思われているか、ということは全く考えてこなかった人生なのだろうが、今回の事件を起こしたことによって自分の親族がどう思い、周囲からどう思われているか、など考えないのだろうか。

 「晩節を汚す」ことをまさに地で行くほどの愚かな行為は、自分を守るどころか、財産や地位だけでなく、自分の誇りさえなくす。それに気が付かないことが情けない。つまりそれだけ正しい判断ができなくなっているのだから、やはり運転を続けるべきではなかったのだ。

       1|2|3|4 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.