「鉄道を盛り上げるボランティア」の報酬は何か 網走に学ぶ杉山淳一の「週刊鉄道経済」(6/7 ページ)

» 2021年03月19日 06時55分 公開
[杉山淳一ITmedia]

報酬はおカネではなかった

 鉄道が好きだ。地域を盛り上げたい。それだけで観光列車の運営を継続的に続けられるだろうか。参加者全員が主旨に賛同できればいいが、10年も経てば情熱は薄れ、去って行く人もいるかもしれない。さらに後から参加した人も手弁当だ。「発足時と同じ思い」がなければ続かない。事業の継続性を考えると、報酬がなければ人材確保は難しいだろう。

 つまり私は「ボランティア活動」について懐疑的だった。継続的な事業にするなら、労働に対して賃金を支払ったほうがいい。気持ちだけでつながった組織は、自治体や企業にとっても付き合いづらい相手ではないか。しかし、今回のコラボとファンミーティングツアーを取材し、MOTレール倶楽部の人々と語り合って、その疑問は解けた。MOTレール倶楽部の参加者には見返りがある。ただしそれはおカネではなかった。

 網走の夜。コラボの打ち上げを兼ねた焼肉パーティーで親睦を深めた。その中で、高校を卒業して網走を離れるというボランティアスタッフのあいさつが印象的だった。彼は「流氷物語号」に19日間も「乗務」し、記念品販売で最も活躍した。「今年は品数が多すぎる」「なんでこんな重いもの(行先表示版)なんか売るんですか」と石黒氏に文句を言いつつ、それでも頑張って、5000円の行先表示版、3000円のニポポなど高額商品を売りさばいた。頼もしい。将来は商売人だなと思ったら、航空業界に進むという。

 彼は「ボクはおカネをもらってものを渡しただけで、ホントに頑張ったのは、裏で商品を作り、梱包した人たちで……ボクは特別なことはしていないんですけど、元気でお客さんに喜んでもらいたいと思いました。そんな小さなことを続けてきただけです」と語り、別れと感謝を述べた。私は驚き、感動した。そこは「ボクは頑張りました」と胸を張るところじゃないか。それなのに、裏方に感謝する気持ちを語っている。

 私がその境地に至ったのは、彼より10歳も年上の頃だった。当時の私は雑誌の広告営業担当で、バブル景気もあって成績を伸ばしていた。しかしこの売上増は、徹夜で頑張っている編集部の人々が良い雑誌を作ったから。それを書店営業が販売して部数を伸ばしたから。それらが広告主に喜ばれて広告の注文が来る。私はただ窓口になっただけ。ライバルの雑誌も多かった。同じようなサービスで、愛想の良い窓口と無表情な窓口では、お客さんはどちらを選ぶだろう。そんなことを考えながら働いていた。

 高校生の彼は18歳でその境地に立っている。彼は中学2年生の時に「流氷ノロッコ号」に何度も乗りに来た。そんな彼に石黒氏が写真集をプレゼントした。それがきっかけでボランティアに参加し、5年間も続けた。周りの大人たちと親戚のおじさんおばさんのように接し、特に石黒氏とは高校進学の進路を相談する仲になった。石黒氏の勧めで、中学教師が進める低レベルの高校ではなく、通学に1時間もかかる網走市内の高校に入った。入学式では成績優秀者として生徒代表としてあいさつし、卒業式では惜しくも総代を逃した。しかし成績優秀で卒業したという。

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