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組織を悩ます「不祥事」と「社員の処分」 それでも“もみ消す”企業が多いワケ正直者をつぶすな(3/4 ページ)

» 2021年04月13日 05時00分 公開
[川上敬太郎ITmedia]

「忖度」で動く組織がほとんど

 一時流行語となった“忖度(そんたく)”は、あらゆる組織において、階段を上っていくほど必要とされる能力です。上司に言われてから動いているようでは遅く、言われる前に察して動き、上司が望む通りの結果を出す――そんな忖度力に長けた猛者たちが出世して、会社組織を動かしているケースがほとんどでしょう。

 秀でた忖度力は、使い方次第で人を幸せにも不幸にもします。先のセクハラ役員の場合、会社が掲げる“正義”のもとに上層部が一致団結すれば、業績は守られるのかもしれません。しかし、それが本当に関わる人たちを幸せにする行いなのかは疑問です。一方で、確実に失うものがあることははっきりしています。

 それは、会社組織への信頼です。ポジションが守られたことに恩義を感じて、セクハラ役員が心を入れ替え、二度と同じような行為をしなくなれば結果として丸く収まるかもしれません。しかし、そんな保証はどこにもありません。それどころか、「会社は自分を処分できない」とセクハラ役員をさらに増長させてしまう可能性さえあります。そうなったら最悪です。

 会社が社会の価値観とズレた処分をしたと受け取れば、会社への信頼を失う社員は多いはずです。しかし、それが“会社のため”だといわれてしまえば、あらがうことは難しいのが実情です。下手に反発でもすれば目をつけられてしまったり、出世コースから外されたりしてしまうかもしれません。組織で生き残るためには、忖度力と並んで“弁え(わきまえ)力”が必要になるということです。

画像はイメージ出所:ゲッティイメージズ

「忖度」「弁え」は一概に悪ではない

 “弁え力”を求められてしまい、いいたいことを飲み込み、これまで組織の中で悔しい思いをしてきた経験がある人はたくさんいるはずです。

 しかし、誰しもが自身の生活を守らねばなりません。そして誰しもが家族を支えるなど何らかの事情を背負って生きています。“忖度力”や“弁え力”自体は、社会生活を営んでいく上で必要な、周囲とうまくやっていくための能力であり、一概に否定されるものではないはずです。

 また、誰しもがこれまでの人生のさまざまな場面でいくつもの失敗を経験してきており、今後も新たな失敗を経験する可能性があります。そして、失敗したとしても再び立ち上がり、新たな道にチャレンジできる権利を有しています。先に挙げたセクハラ役員も、過去の行為は責められたとしても、心から反省し、新たな気持ちで前に進もうとする限り、復帰するための道は開かれているべきだと思います。

 ただ、組織内の隠蔽(いんぺい)体質や不健全さを保持するために、それらの事情を口実にして不健全な組織構造を強化することもできてしまうのも事実です。そんな組織を作らせない、あるいは破壊する上で鍵となるものの一つが、適切な処分なのです。

 不祥事が生じたとき、発表された処分に納得感が伴わないことは多々あります。それどころか、なぜか本来責任を取るべき者が守られ、そうでない者が見せしめのように責任を取らされていると感じるようなひどい場面を見ることもあります。その点においては、冒頭で触れた厚生労働省の送別会の一件は、処分されるべき者が処分された事例だったように思います。

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