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「田舎暮らしは異世界」 限界を迎えたサラリーマンが退職して移住したら人生が変わった話(2/4 ページ)

» 2021年04月22日 20時00分 公開
[高橋史彦ITmedia]
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漫画業界から一度離れて、戻ってきた

 そうして完成した企画書は編集長から各編集部員に渡った。すると複数人が立候補し、田村氏が担当に決まった。作画の宮澤ひしを氏も田村氏が引き合わせた。

 「あの企画書は一つの読み物として優れていました。このコロナ禍で“都会の血が入った農作業マンガ”を作れたら、幅広く読まれる可能性がある。宮澤さんが描く農作業のシーンもすぐに思い浮かんで、トントン拍子で進みました」(担当)

 20年初夏、田植えの現場で3人が顔合わせをした。その時点でもクマガエ氏は「原作者ではなく原案でいいですかね……?」と及び腰だったが、田村氏が説得し、本気の漫画作りが始まった。

 「面白いですよね。クマガエさんは『漫画業界はもう嫌だ』といって出ていったのに、田舎暮らしを経由して、漫画業界のど真ん中に戻ってきた」(担当)

漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件 漫画編集者の頃

会社員生活に感じた限界

 クマガエ氏は大阪出身。大学卒業後、都内にある情報誌系の編集プロダクションで1年働き、書店員や雑貨店員などを経て、25歳で漫画専門の編集プロダクションに就職。09年、講談社の『月刊少年ライバル』編集部に出向し、漫画作りにいそしんだが、一向に成果がでないまま、14年6月に同誌が休刊してしまう。新雑誌創刊へ向けて動くことになったものの、漫画編集者としてのモチベーションを維持できない自分に気づいたという。

 「ライバルには面白い作品がたくさんありました。ただ、雑誌がうまくいっていないと新連載を立ち上げても、世の中に響かせるのがとても難しいんです。球を投げても暗闇に吸い込まれていく感覚。自分の実力不足はもちろんですが、手応えが感じられないことに疲れてしまって。当時は疲弊と無力感が大きかった」

 休刊に伴い、漫画家の多くは職を失うのに対し、編集部員は変わらず給料をもらえる状況も心苦しかった。もやもやとしながら新雑誌の準備を進めた。

 「皆が新しいことに向かって突き進んでいる中、1人もやもやしているのは精神衛生上よくない。団結の和を乱してしまう。同僚にやる気のないしぐさは見せなかったと思いますが、『何だか悪いな』という気持ちはずっとありました」

 15年9月、交渉の末に講談社を離れ、同編プロの本社勤務となる。本社ではより自由に働けるだろうと見込んでいたが、配属されたのはさまざまな漫画の単行本を編集する部署で、出社から退社までデスクに張り付くような日々だった。自由度はむしろ下がり、そこで漫画編集の才能うんぬんではなく、会社員生活そのものに限界を感じていたと悟った。

漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件 同僚の指摘、そして……

 16年3月、会社の退職を決意。時を同じくして、匝瑳市の田んぼを借りること、結婚することを決め、同年5月に夫婦で家賃1万円の古民家へ移住した(続く)。

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