性善説は“お粗末なシステム”への免罪符ではない。
以前から世界的にシェアを伸ばしてきたウーバーイーツだが、コロナ禍を追い風として需要はさらに高まっている。その反面、配達におけるトラブルや配達員に対する契約条件の不利な変更などトラブルが目立つのもまた事実だ。
22日には日本でウーバーイーツ事業を手掛ける日本法人のウーバージャパンのトップと、当時コンプライアンス担当をしていた元社員の2人が東京地検に書類送検されるニュースが報じられた。
容疑は、不法滞在の外国人2人の在留資格を確認せずに昨年6〜8月に、配達員として就労させていたという入管難民法違反である。該当の2人は他人になりすましてアカウントを作成し、配達員として活動していたという。
ウーバーイーツの外国人配達員をめぐっては、昨年時点で不法就労の温床となっているという指摘があった。今回送検された容疑にかかる不法就労の人数は2名のみであるが、その背後にはまだ発覚していない者も存在する可能性がある。
ここで、ウーバーイーツをはじめとしたベンチャービジネスのトラブルにおいては「関係者が悪いことをしない前提で設計されているビジネスモデル」という意味合いで、「性善説の想定外」や「欠陥」といったワードがよく用いられる。
誤解されがちだが、性善説に立ってビジネスを設計しようと、性悪説に立ってビジネスを設計しようと、不正の発生を想定し、その対策を講じておく責任はある。そもそも「性善説」と「性悪説」は、人間の生まれつきの性質が善か、悪かを論じるものであり、「性善説によれば悪は発生しない前提で設計してよい」と解釈するには無理がある。
性善説が示すのは、「人は生まれつきは善であるが、その後の人生で悪行を学ぶ」というものであり、性悪説が示すのは、「人は生まれつきは悪であるが、その後の人生で善行を学ぶ」というものだ。そうすると、性善説であっても性悪説であっても悪は生じ得るのだ。
過去の事例では、コード決済アプリのセブンペイ事件などで「性善説の欠陥」などと論じる者も一定数存在した。しかし性善説であれば「決済アプリケーションで登録アドレスと別のアドレスを指定して、そこにパスワードが送信される」というようなセキュリティの抜け穴を放置してもいいという結論にならない。
むしろ、性善説的な考え方からいえば、「本来は良いユーザーであっても、重大な欠陥が放置されていたら不正アクセスのような悪行に至ってしまう」と考え、先手を打って他要素認証や別のセキュリティ策を講じるべきなのだ。
現に、ウーバーイーツと同様のサービスを展開する出前館では、基本的に雇用契約に基づくアルバイトや正社員が中心で、本人確認や教育を行き届かせようとする例もある。ウーバーイーツと同様に多国籍展開するウォルト(Wolt)でも、日本における外国人配達員登録にあたっては在留カードの確認などを対面式の説明会で実施しており、画像加工やなりすましの余地が小さい方法を取っている。
このような対策を講じている出前館やWoltは、ウーバーイーツと違って、ユーザーのことを悪人しかいないと評価することは妥当だろうか。いや、これは暴論だろう。そうすると、これと逆のことを言っているに過ぎない「Uberは“性善説”」論もまた暴論ということになる。
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