バニッシュ・スタンダードが創業したのは10年前。しかし、創業当初は苦節が続いた。「11年にWeb制作会社の同僚たちと独立し、EC構築から運営の全てを請け負うバニッシュ・スタンダードを創業したのですが、結論、全員辞めたんですよ」と小野里さんは振り返る。
原因はいくつかある。まずは数人で独立するはずが、賛同者が増え、約15人での船出となったことだ。
「ここで僕は社長としてリーダーシップを発揮すべきところ、力のある仲間たちにすがってしまったんです。みんながいるから経営も大丈夫だろうと」
せっかく独立したのだから、みんなの給料を上げてあげたい。15人の中に営業経験者はいなかった。小野里さんも未経験だが、気合いで案件を取りに行った。だが、15人で食べていくには、すさまじい仕事量をこなさなければならなかった。資金繰りもままならず、銀行から自分名義でお金を借りた。絵に描いたような自転車操業だった。
身も心も限界に差し掛かった頃、一人の社員がつぶやいた。「受託じゃなくて、自分たちのサービスを作りたい」。その一言に、小野里さんはブチ切れた。
「ちょっと待てと。みんなの夢や金のために俺は一生懸命やってるのに、なんでそんなワガママが言えるんだ。じゃあどうやってお前らの給料払えばいいんだよ、と。今ならいろいろな手段を知っているし、乗り切れるかもしれない。でも28歳の僕には、ただキレることしかできなかった」
そもそも、ECの「常識を革める(あらためる)」(=バニッシュ・スタンダード)というビジョン自体が難題だった。ECの仕組みは意外と単純だ。商品があって、レジがあって、配送される。そこに新たな常識の入り込む余地があるだろうか。
「店での買い物をバーチャル体験するWebサービスを作ったりもしたのですが、面白くないんですよ。そんなつまらないアイデアを実現するためにみんな頑張ってくれたのに、僕は文句を言ってしまったわけです。ダサかったですね」
一度狂った歯車は元には戻らない。仲間の心が離れていくのが分かった。
「1人、2人と辞めていき『お前を信じてやってきたのに、お前が壊したんだ』なんてことも言われたけれど、それでも自分が悪いとは思えなかった。『全員で頑張ろうと言ったのに、さじを投げたのはお前らだろ』と。『新しいサービスでも何でも作ればいい。俺だってサービスくらい思い付くわ、お前らよりも』みたいなことまで言ってしまって。そんなこと言われたら、辞めますよね」
こうして、ともに独立したメンバーは誰もいなくなった。死活問題だった。当時のバニッシュ・スタンダードのメイン事業は、ECの構築、運用、物流、PRなどをまるっと請け負うフルフィルメント型。つまり、各部門に人がいないと成り立たなかったのだ。
1人辞めたら1人入れと採用を急ぐも、この仕事にこれといった思い入れのない社員が増えただけ。そしてすぐ辞めていった。やがて2人辞めた穴を1人で埋めるようになり、止血できなくなっていた。
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