小売り覇権に陰り? 丸井の衣料PB撤退が意味するもの磯部孝のアパレル最前線(1/3 ページ)

» 2021年10月01日 06時00分 公開
[磯部孝ITmedia]

 首都圏を中心にファッションビル業態の商業施設「OIOI(マルイ)」などを展開する丸井。その丸井がプライベートブランド(PB)事業からの撤退を決めた。同社が数年前から進めているビジネスモデルの転換策によるものだという。

マルイ 有楽町マルイ

 これまで展開してきたメンズウェア「ビサルノ(VISARUNO)」、ウィメンズウェア「アールユー(ru)」、ウィメンズ雑貨「ラクチンシリーズ」の3ブランドを順次廃止する。PB商品を扱ってきた自主売場は今後、テナントと協業したイベント事業やショップ運営に関わるような共創型の自主売場へと切り替えていく。

 PB事業で自主専門店運営に関わる従業員の人数は現在1150人程度。従業員はネット企業の誘致や店舗運営支援、フィンテック事業、新規事業などに配置転換する予定だ。今回は丸井のPB撤退が意味するものについて考えてみたいと思う。

 まずは、丸井と日本のPB商品の普及過程について振り返ってみたい。

 丸井の創業は1931年、「丸二商会」からのれん分けを受けて独立し中野区に開店したことから始まる。丸井の代名詞ともいえるクレジットカードは、日本で初めてのクレジットカードとなった。それまで月賦と呼ばれていた支払い方法をクレジットカードにして発行したのが60年のこと。

 72年頃より若年層中心をターゲットにしたアパレル中心の小売業に転換、80年代のDCブランドブームをけん引した。

 コントグループの「コント赤信号」の持ちネタだった、服装を一流ブランドで固めたリーダーの渡辺正行に向って「それだけそろえるの、高かったろう?」とメンバーの小宮孝泰が尋ねると「赤いカード」を出して「丸井よ!」(=全て月賦)と答えるギャグが人気となり、月賦の丸井の名が一躍全国区に知れ渡ることとなった。

 こうしてマルイは店舗ブランドとして認知を広げ、駅前一等地に次々に出店してルミネやパルコなどといったファッションビルと競合していった。

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