まだまだ書きたいことはあるが、あれもこれも盛り込んでしまうと長くなってしまうので、そろそろ話の“オチ”に向かっていきたいと思う。ビヤホールの長い歴史の中で、大きな出来事がいくつかある。新型コロナの感染拡大によって、「店のシャッターを下ろした」「ビールを提供できなかった」こともそのひとつではあるが、長期間にわたって営業ができなくなったことがある。第二次世界大戦が終わって、進駐軍専用のビヤホールとして接収されてしまったのだ。
接収されたのは、1945年9月〜52年の1月まで。ということは、6年8カ月ほどになる。戦時中は空襲によって、多くのビヤホールは焼失または疎開のために取り壊されたが、銀座にあるビヤホールライオンの店は残った。
戦火をまぬがれた理由として、都市伝説ともいえるようなことが語られている。「戦後、米軍がビヤホールでビールを飲むために、わざと残したのでは」と。真相は闇の中であるが、もしこれが本当だったら。接収されたときに、店を利用していた進駐軍の間でどんな会話が交わされていたのだろうか。
話がちょっと変わるが、このビヤホールは座る位置によって、違った空間を味わえるようになっている。中央通路の付近に座ると、ホール全体の雰囲気を楽しむことができ、奥のカウンターの近くに座れば、先ほどご紹介した大壁画を間近に見ることができる。そして、側面にはコーナー状の座席があって、ここは座り心地を重視している。ビールを飲みながら、ゆっくり会話を楽しみたい人には、ここの席が向いているのかもしれない。
さて、ここで、ダグラス・マッカーサー元帥の登場である。社会の教科書に写真入りで掲載されていたので、記憶に残っている人も多いはず。そのマッカーサーは、何度か店に足を運んでいて、コーナー状の席がお気に入りだったそうだ。(参照記事)
詳しい情報は残っていないので、彼がどのくらいのペースでビールを飲んでいたのか、どういった料理を好んで食べていたのかといったことは分からない。また、どういった人とどんな会話をしていたのかも不明である。
ただ、想像をすることはできる。パイプを手にしながら、同席していた人にこのようなことを語っていたのではないだろうか。
「な、ここのビヤホールを残しておいて、よかっただろ?」
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