リアの羽からディフューザー、ストレーキ……クルマのエアロパーツは本当に効果があるのか?高根英幸 「クルマのミライ」(2/4 ページ)

» 2022年06月27日 12時00分 公開
[高根英幸ITmedia]

エアロパーツの歴史は意外と古かった

 そもそもクルマのボディで空気抵抗が意識されるようになるのは、戦前までさかのぼる。1930年代、ドイツのアウトウニオン(現在のアウディ)は、クルマの最高速度記録挑戦をダイムラーベンツと競っていた。どちらも時速400キロを超える速度を実現するために、当時のレーシングカーとは異なり4輪をすべてボディで覆い、低く平たいスタイリングでコックピットとホイール部分が盛り上がっているのが特徴だった。

 もっと前に、クルマで初めて時速100キロを超えたジャメ・コンタント号は、完全な砲弾型のボディを台車のようなシャーシに載せていた。なお、1899年に時速105.9キロを記録しているこのクルマはEVだ。つまりクルマは黎明期から空力を意識して開発されてきたのである。

 1983年にアウディがセダンながらキャビン回りの段差を極めて平滑にして、当時としては驚くほどの空力性能を誇ったアウディ100をリリースしたのは、実にエポックメイキングな出来事だった。それくらい、それ以前はクルマのスタイリングはスピード感や個性を追求しながらも、空気抵抗への対策はそれなりのものでしかなかった。

 もっとも、積極的に空気力学を走行性能に利用しようという動きがなかったわけではない。73年にBMWは市販車初のターボエンジン車として2002ターボを登場させているが、そのスタイリングも刺激的なものだった。

 ベースとなった2002に対してエンジンの高性能化による速度向上に合わせて、サイズアップしたタイヤのためにオーバーフェンダーを備えただけでなく、フロントエプロンにはフロア下を流れる空気を抑制するエアダム(フロントスポイラー)が与えられた。トランクリッド後端には、整流とダウンフォースを高めるためのリアスポイラーが装着された。

 75年にはポルシェも空力パーツによるボディのチューニングを実践する。ポルシェ911ターボ(発売当時は930ターボと呼称)にホエールウイング(鯨の尾のようなウイング)を装備させて、RRレイアウトの弱点である高速走行時の安定性を高めたのだ。

 そのあたりから高性能モデルの象徴として、エアロパーツは利用されてきた。そして80年代に入って、ドイツでは高速時の安定性を高めるために後付けのエアロパーツも販売されるようになる。そして日本でも、80年代後半からエアロパーツが大流行するドレスアップブームが沸き起こった。

 一方で、98年に発売された初代アウディTTのリアスポイラー追加は、エアロパーツの効果を知らしめるに十分な事件だった。初代TTは近未来的なデザインにこだわったスポーツカーとして開発されたが、その丸みを帯びたスタイリングが影響して、時速180キロ以上での高速走行時に車体の安定性が低下するという弱点が露見してしまう。そのため、発売後にリアスポイラーを追加設定するという対策を余儀なくされたのだ。

 同じく98年に発売されたトヨタの先代スープラ(A80型)のリアウイングは、当時の日本の市販車としては珍しくしっかりとダウンフォースを発生する本格的なエアロパーツだった。ダウンフォースはクルマを安定させるが、空気抵抗としては下向きの成分として発生するため、Cd値(空気抵抗係数)は低下する。

 これらは最高速度を追求する、という点では若干性能をスポイルすることになるが、高速走行時の安定性向上により、実際にはその高性能さを確実にするものだ。実際サーキットでは、コーナリングスピードの向上によりラップタイムの短縮に貢献する。そして高性能なイメージを象徴するものとしても有効なものであった。

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