2018年に経済誌『フォーブス』が発表した「世界で最も稼ぐスポーツ選手」は誰だったのか。それは1試合で100億円を超えるファイトマネーを稼ぎ、50戦50勝(27KO)無敗の戦績を誇るボクシング界の「生ける伝説」フロイド・メイウェザーだった。現在は引退しているものの、名実ともにチャンピオン中のチャンピオンだ。
そんな伝説のボクサーが18年の大みそか、初めて米国外での試合を日本で実施した。22年9月にも再来日を果たし、日本で最も有名な格闘家の1人である朝倉未来とエキシビションマッチを実施している。
メイウェザーは巨額のファイトマネーを要求するだけでなく、非常に慎重なビジネススタイルで知られる。かつ常に自分のペースで物事を進めて優位に立つよう交渉をするため、周囲は振り回されてきた。
18年の那須川天心戦では会見に遅刻は当たり前、当日も遅刻をし、スポンサーの看板を手で持たないなど、交渉相手としてここまで厄介な相手はそうそういない。
そんな無頼なセレブリティーをいかにして口説き、どのように伝説的な試合を日本で実現させたのか。前編に引き続き、「RIZIN」(ライジン)を主催するドリームファクトリーワールドワイド(東京都港区)の榊原信行代表(榊は正確にはきへんに神)に、舞台裏を聞いた。
――18年にフロイド・メイウェザー選手が那須川天心選手と日本で試合をしました。いかにして実現に漕ぎつけたのですか?
メイウェザーはそもそも17年にボクシングを引退した身でしたから、オフィシャルなボクシングの試合をすることはできません。そんなメイウェザー側から日本で試合をしたいと話をもらいました。
この「試合」とは公式なものではなく非公式な試合で、戦績には残らない、いわゆる「エキシビションマッチ」と呼ばれるものです。しかし、たとえ非公式試合であっても、メイウェザーがやるとなると莫大なファイトマネーが発生してしまいます。
そこでメイウェザーと契約する前にいろいろなスポンサーさんに声をかけて「メイウェザーを日本に呼んで試合が組めます。協力してもらえませんか?」と聞いて回ったんです。するとどの会社も「面白いからやりましょう! 協力しますよ!」と返答をいただき、メイウェザーと日本で試合をする契約を結びます。
ただ、メイウェザー自身も初めてエキシビションマッチを異国の地でやるということで、かなり警戒心が強かったように思います。
――確かにメイウェザーは非公式なエキシビションマッチであることを強調していましたね。
18年11月に天心とメイウェザー戦の記者会見を開いたのですが、世界からの反響がすごかったんです。米国のボクシング界からは批判があり、メイウェザーの周りからも「日本で試合なんて騙(だま)されるぞ。とんでもない目に遭うぞ」といった声が上がっていたようです。それがメイウェザー本人の耳にも入り、試合をキャンセルする騒動になりました。
――そこでどんな対応をして乗り切ったのですか?
私は米国に渡ることにしました。2週間ほどマネジメントと話しながら、ひとつひとつ誤解や不安を解き、最終的に彼らが納得する形で、合意を得ました。ただ最後までやっぱりわれわれを疑がっていました。
例えば米国で試合を見られたくなかったのか、直前まで交渉するも北米でのペイ・パー・ビューは中止しました。強行することでメイウェザーが試合直前に、「日本で試合するのをやめる」と言い出すリスクがありますし、当時、放送予定だったフジテレビに穴を開けるわけにはいきません。試合を発表するとプロモーターである主催者側が弱くなるのです。
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