せっかく話が鉄道に復旧したところで、もう一度脱線する。
オフィスチェアの最高峰のひとつに「アーロンチェア」がある。ハーマンミラー社が1994年に発売した。人間工学を取り入れ、調整機能を使って快適な座り心地を提供する。デザインも美しく、20万円前後と高価だけど、長期保証があるから長く使える。その高価格によるブランドイメージによって広く認知された。バブル景気の余韻がまだ残っていたころだ。アーロンチェアは成功者の証。アーロンチェアがズラリと並んだ会議室は一流企業というイメージだった。
私もアーロンチェアが欲しかった。さすがに手が出ず、イプシロンという、10万円くらいのオフィスチェアを買った。これも良い椅子だ。ホームセンターなどの5000円前後の事務椅子よりずっと快適で、腰痛も消えた。この経験から、ケータイやパソコンなど、毎日使うものはちょっと高くてもいいものを使いたいと思うようになった。その椅子も20年経ち、座面や肘掛けがすり減ってきた。しかし買い換えようにも製造されていない。いよいよアーロンチェアか、と探していたとき、ネットでこんな投稿を見かけた。
「アーロンチェアは確かに良い。しかし、発表からそろそろ30年になろうとしている。その間、他社の椅子だって進化している」
慧眼(けいがん)である。アーロンチェアにこだわる。それは90年代の憧れを手にするという意味がある。しかしそのこだわりは、約30年のオフィスチェアの進化を無視することになりかねない。冷静に比較したほうがいい。
鉄道はどうだろう。「地域公共交通」において鉄道に固執することは、他の交通モードの進化を見過ごすことにならないか。不便なままの公共交通に縛られると、人々はもっと便利な地域を選ぶだろう。鉄道にこだわることが地域の衰退の原因になりかねない。
鉄道ありきという考え方は「地域公共交通」の進化に対する否定だ。「地域にとって最適な交通体系」が必要であり、「ローカル鉄道を残せ」は思考停止になる恐れがある。
「地域公共交通」にとって鉄道は「便利」だろうか。本当に「鉄道で」良いのか。いや「鉄道が」良いのか。もっと便利な手段があるのではないか。その議論を尽くしたところに「鉄道を生かす」があるなら、もちろん鉄道を選ぶべきだ。
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