渋谷・新宿・池袋で起きる異変──なぜ「電鉄系百貨店」だけが消えるのか?小売・流通アナリストの視点(2/4 ページ)

» 2023年02月28日 05時00分 公開
[中井彰人ITmedia]

「電鉄系百貨店」はなぜ生まれたのか

 日本の民鉄のビジネスモデルは、阪急電鉄の創始者、小林一三氏が作り出した手法が基礎になっていることは、ご存じの方も多いだろう。

 ざっくり言えば、郊外に鉄道を敷設して、その沿線に住宅地を開発しつつ、さらには沿線にデスティネーションとなる施設(例えば、宝塚歌劇場、遊園地など)を設けて、人流を人工的に作り出す。そして沿線を移動する住民などの生活の全てに関わるインフラを構築して、沿線価値を持続的に高めていくことで、収益も確保するモデルといえるだろう。

 なかでも、都市部に人流を集める主要駅ターミナルには、利用者のあらゆる消費ニーズを充足する大型百貨店を置いて、沿線で買い物が完結する環境を整備した。戦前から始まったこのビジネスモデルは、戦後の高度成長期における大都市への人口集中を背景に大ブレークすることになる。

高度経済成長期にブレークした大型百貨店のビジネスモデル(画像はイメージ、提供:ゲッティイメージズ)

 大都市に流入する人口は、沿線宅地開発によって吸収され、それまで田んぼや畑ばかりだった私鉄沿線を巨大な郊外住宅地に変貌させ、同時に駅ターミナルは世界有数の人流に支えられた最高の商業立地となっていった。こうした手法は日本の大手民鉄のほとんどが模倣するところとなり、大都市の鉄道ターミナルには電鉄系百貨店が林立することになったのである。

「電鉄系百貨店」はなぜ、消えつつあるのか

 そんな電鉄系百貨店がなぜ消えつつあるのか。

 駅ターミナルの人流はコロナ禍によって大きく減少した時期もあるが、最近では8〜9割まで戻りつつあり、今後さらに回復の可能性もあるため、最高の商業立地であることには変わりはない。

 だからこそ、再開発後も大型商業施設が計画されているのであり、ただ、求められるものが百貨店ではない、というだけだ。要するに、百貨店という業態が新たな駅ターミナル商業施設としての投資適格業態ではなくなった、ということだ。これは百貨店という業態が大衆の支持を失っていることが大きな要因であろう。

 かつて、大衆ファミリー層からの絶大な支持を受けていた百貨店は、休日には家族連れでにぎわい、大食堂、屋上遊園地などといった、今ではあまり見られなくなったスペースもあった。しかし、安い大型スーパーが台頭してくると、徐々に生活必需品需要は奪われていく。

 1980年代以降になると、家電や紳士服などの専門店チェーンが成長し始めた。2000年代以降は、アパレル、インテリア、雑貨などの専門店チェーンが出そろって、さらにはショッピングモールや駅ビルも増え、大衆ファミリー層の必需品需要に関しては、百貨店に行く必要がなくなっていった。

 大衆ファミリー層の需要が期待できなくなっていく中で、百貨店は、中高年女性向けアパレル、化粧品、ブランド品などへの傾斜を強めていく。大衆ファミリー層の剥落をカバーするため、単価の高い富裕層需要に特化することで生き残る、という選択をしたのである。しかし、この傾向は呉服系も電鉄系も大きな違いはないのに、なぜ、電鉄系だけが消えていくのか、という疑問の答えにはならない。

 電鉄系が消えつつある理由としては、(1)駅周辺再開発の時期が到来していること、(2)民鉄にとって百貨店はピースの一つでしかない、ということが言われている。

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