取り壊された「中銀カプセルタワー」の行方は? 第1号が“動き”始めた週末に「へえ」な話(1/3 ページ)

» 2023年05月07日 08時00分 公開
[土肥義則ITmedia]

 銀座、新橋、築地の中間ぐらいのところに、ちょっと気になる建物があった。立方体の箱が積まれていて、丸い窓が並んでいる。その名は「中銀(なかぎん)カプセルタワービル」だ。

 「あ〜あの古いビルね。たしか数年前に取り壊したのでは?」と思われたかもしれないが、その通りである。近未来を感じさせられるデザインは建築家の黒川紀章(1934〜2007年)さんが手掛けていて、産声をあげたのは1972年のことである。

2022年に解体された「中銀カプセルタワービル」(2018年に撮影)

 建物は地上13階建てと11階建ての2棟からできていて、3階以上に140個のカプセルがあった。部屋の広さは4.5畳で、その中に造り付けの家具やユニットバスのほかに、テレビ、ラジオ、電話、時計、オープンリールデッキ(リールに巻きつけただけで、カセットに入れていない磁気テープ)などが備えられていた。ちょっと狭いワンルームマンションのような形だが、大きな違いはキッチンと丸い窓が開かないことである。

 このような話を聞くと「テレワークで自宅やカフェで仕事をするのも飽きてきたなあ。こんなところを借りて、仕事をするのはアリだな」などと感じられたかもしれないが、そもそもこのビルは「サラリーマンのために」建てられたのだ。

 効率的に働いて、夜は自分の趣味をここで没頭……といったワークライフバランス的な話ではなく、当時は「24時間働けますか?」の世界である。朝早くから夜遅くまで働いて、自宅には帰らない(終電が過ぎているので帰れない)。仕方がないので書類を持ち込んで、ココで仕事をする。

中銀カプセルタワービルの部屋の中(2018年に撮影)

 こうしたライフスタイルに憧れた(または仕方なく)人たちが中銀カプセルで暮らしていたようだ(もちろん、違う目的で住んでいた人も多い)。しかし、一度も大規模修繕工事を行っていないこともあって、“晩年”の姿は廊下の壁がはがれていたり、雨漏りがしたり、お湯がでなかったり。時の流れにあらがうことができず、2022年に解体されたのだ。

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