西武鉄道が方針転換したのは、戦後のことである。1952年3月に、高田馬場から西武新宿へと路線を延伸し、村山線も「西武新宿線」と改称、東村山から本川越も西武新宿線となった。
当時の西武新宿駅は簡易なつくりだったという。というのも、その先にある新宿駅への乗り入れを目指していたからだ。もしかすると、一時的にあの位置に駅を設け、「ゆくゆくは……」という考えだったのかもしれない。
だが、どこにどのように線路を敷き、駅をつくるかという問題が発生する。
それでも、新宿駅東口の現駅舎(ルミネエスト新宿、開業当時は新宿ステーションビル)が開業する際には、西武新宿線の乗り入れ計画があった。しかし1965年3月に設備の関係で断念した。
その後、西武鉄道は1977年に、現在の西武新宿駅舎となる駅ビルを完成。プリンスホテルなどがビルに入った。
このような経緯があり、新宿駅からけっこう離れた位置に西武新宿駅を設けることになった。
もともと旧村山線時代のターミナルは高田馬場駅であり、現在も山手線や東京メトロ東西線との接続駅として重要な位置を占めている。高田馬場駅には西武グループの商業施設「BIGBOX高田馬場」が1974年5月に開業し、スポーツやアミューズメントにも力の入った特色あるものとなっている。
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