「大阪王将」会長が部下の言葉を遮って、ダメ出しをしたのはなぜかスピン経済の歩き方(4/5 ページ)

» 2023年11月28日 10時43分 公開
[窪田順生ITmedia]

「注意」や「アドバイス」をしたつもりでも

 そんな職人文化のダークサイドを象徴するのが、日本を代表する職人、本田宗一郎氏だ。言わずもがな、日本の黄金時代を支えてきたカリスマ経営者であり技術者であり、今も多くの経営者が目標としている。そんなカリスマから直接、指導を受け、「シビック」や「アコード」などのデザインを手掛けてきた岩倉信弥氏はこう振り返る。

 『やはりちゃんと物を見て、直(じか)に物に触れ、現実をよく知らなきゃいけないという「現場・現物・現実主義」。それを外すと「やりもせんに!」と拳骨(げんこつ)やスパナが飛んでくる。

 こちらは大学を卒業して多少知恵がついている分、「いやそれは無理です」とか、屁理屈を一所懸命並べるんだけど、言おうとすると怒られる。しょうがない、やるしかない、で、やっているうちにできちゃった、ということが何度もあった。

 人間は窮地に追い込まれて、いうなれば2階に上げられて梯子(はしご)を外され、さらに下から火をつけられる、という絶体絶命の危機に立たされ、初めて湧いてくるアイデアや閃きがあるものです』(本田宗一郎が“激怒”しながら伝えたモノづくりの極意、致知出版社 20年3月8日)

 本田宗一郎氏がもし令和の時代に生きていたら、パワハラ・暴力社長などと告発されて、謝罪会見でボロカスに叩かれて炎上していたに違いない。そんな風に驚く若い人も多いだろうが、職人の世界では、本田氏がやっていたことは特に珍しいことではなく、極めてベーシックな指導方法だ。

 「半人前」は精神的にも肉体的にも追いつめなければ「一人前」にならない。だから「喝を入れる体罰」「愛のあるパワハラ」は必要悪とされたのだ。

昭和の職人文化では当たり前だったことが……(出所:ゲッティイメージズ)

 さて、こうした昭和の職人文化で生きて組織のトップにまで上りつめた人が、「相手が不快に思えばなんでもハラスメント」の令和の時代、どんなことをやらかしてしまうのかというのは、容易に想像できよう。

 「上」が「下」を厳しく叱責するのが当たり前という社会でこれまで何十年も過ごしてきたので、自分の中ではかなり優しく「注意」や「アドバイス」をしたつもりでも、令和の若者から見ればかなり厳しい叱責に見えてしまう。言葉を遮るのも自分が正しいと思うことを、早く伝えてやりたいだけなのだが、「うわっ、圧がすごい」「怖い」とドン引きされてしまう。

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