危機をチャンスに変える ホテルニューアワジの発想力(2/6 ページ)

» 2023年12月04日 09時28分 公開
[産経新聞]
産経新聞

 いまや淡路島だけでなく関西を代表するホテルチェーンに名を連ねるようになった同社だが、当時は客室が約50で年商が7千万円ほどの小さな旅館だった。洲本の温泉街に二十数軒ある宿の中では7番目の規模だった。上位には老舗旅館がそろっており、「雲の上のような存在だったが、とにかく追いつき、上を目指すということが一番の望みだった」。

 転機は51年、隣接する「淡路島グランドホテル」を買収したことだ。別館として一体運営に乗り出し、その後の増築なども奏功して63年には2館を合わせて全110室、600人を収容する温泉街随一の規模を誇るようになった。

 社長に就任した平成5年、さらに90室を増築した。しかし、銀行から多額の借金をして投資に踏み切った約2年後の7年1月、阪神淡路大震災が発生した。被災で阪神高速道路が倒壊するなど、観光業界も大打撃を受けた。

 成長軌道に乗った直後の同社にとってもショックは大きく、「強みとしていた団体客が途絶え、震災の影響は3年間は続いた」と振り返る。

 それでも10年には一か八かの勝負となった経営判断を実行する。経営不振で閉館された「ホテルプラザ淡路島」(現ホテルニューアワジプラザ淡路島、兵庫県南あわじ市)の買収だ。銀行と交渉すべく大阪・中之島へ出向き、借金の返済猶予に加えて買収資金の融資を願い出る。当時は崖っぷちといえる状況だったが、経営環境は「必ず良くなる」との確信があった。

copyright (c) Sankei Digital All rights reserved.